google.com, pub-7269144570220091, DIRECT, f08c47fec0942fa0 GYÖRGY MOLDOVA"BALLPOINT": きたきつねの文房具日記

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2020年4月30日 (木)

GYÖRGY MOLDOVA"BALLPOINT"

AmazonでGYÖRGY MOLDOVA"BALLPOINT A Tale of Genius and Grit, Perilous Times, and The Innovation That Changed The Way We Write"を見つけて、ちょっと面白そうと思い注文したことを忘れていた本が今週届いた。

読み始めたところ現在無くてはならない筆記具となっているボールペンの開発の話だったけれど、期待していた技術的な内容ではなく、ボールペンの開発に関わったハンガリー人のLászló BíróとAndor Goyのボールペン開発の過程における苦労の物語だった。

ボールペンのアイデアは1888年にアメリカで特許が申請されてから、何件もの特許が出されているけれどいずれも商品として完成していなかった。

ユダヤ系ハンガリー人のLászló Bíróは、車に弾かれた石が水たまりを通り抜けて道路に水の跡をつけたのを見てボールペンの原理を思いついたらしい。

Bíróは液体のインクでは漏れたり、きちんと書けないことから、インクに粘性を持たせることを思いついた。ここに現在の油性ボールペンが誕生することになる。

Bíróは弟のGyörgyの協力でインクの染料について研究を進め、油性ボールペンのアイデアを1938年に特許を取り、技術者のAndor Goyと組んで実用化を進めた。

ナチスドイツの侵攻からBíróはハンガリーを脱出してパリに逃れ、スペインからアルゼンチンに行き、苦労の末にBiromeブランドのボールペンを第二次世界大戦中に完成させて、1943年に売出すことに成功した。

油性ボールペンは一気にアメリカで普及して、大きな収益をBíróにもたらし、Bíróはアルゼンチンでは有名になり顕彰されるほどになった。

一方、ハンガリーに残ったGoyは、実用的なボールペンを作ることができたが、ハンガリーが社会主義になったために、全ての財産を没収されてしまう。

GoyはBíróからヨーロッパでの販売権を貰っていたのでドイツのファーバーカステルやシュナイダーから誘いを受けたけれど、ハンガリー政府の妨害で満足な結果が得られすに失意のうちに亡くなってしまうという物語だった。

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