ななへやへ
昨日散歩道で終わりかけの山吹の花を見て、落語の「道灌」を思い出して一人で喜んでいた。ところが今日読売新聞のくらし面の南伸坊さんの「よむサラダ コドモの頃」を読んで嬉しくなってしまった。
その中に山吹の思いでとラジオで覚えた「道灌」の中に出てくる歌のことが書いてあって、やはり同じ思いのひとがいることが嬉しかった。南さんは私よりもちょっと年上だけれど、数歳の差で世代を共有しているので好きな画家でエッセイストだ。色々なことを感じるツボが非常に似ているみたいだ。
子供の頃はラジオで落語をよく放送していて、随分沢山の話を聞いたものだった。私が特別ということではなく、娯楽の少なかった同世代のひとは同じではないかと思う。
落語も覚えたが、文字ではなく耳で聞いて覚えたので、大きくなって落語の本を読んで苦笑することが多かった。志ん生、金馬、柳橋、圓生、小さんなど沢山の名人上手の勢いのいいときの話を聞けたことはラジオのおかげかもしれない。
ラジオは現在のテレビ以上に真面目にというか集中して聞いていたと思う。落語だけでなく、歌謡曲、浪曲、講談など世代を越えて共通するものがあった。例えば、歌などは世代を越えて歌われていたので、今でも親父から老人の世代が集まると共通の歌が沢山ある。最近の歌は世代の断絶があって、皆で歌えるものはないだろう。
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