努力とは敗者の免罪符だ
集英社の広報誌「青春と読書」に連載中の花村萬月さんの「父の文章教室」が5月号で最終回を迎えた。生い立ちから始まった花村萬月さんが小説を書くに至った経緯が赤裸々に語られているのが、新鮮だった。
結論として、小説家は努力してなれるものではないことをはっきりと言い切っている。英才教育で小説家はできるものではないことは、間違いの無いことだろう。もちろん、だれでも文章は書ける、でも人の心を動かす文章を書くことは難しいと思う。
現代の賢人養老先生も人の能力は遺伝的に決まっていると書かれているし、実際のところ大人はそのことを理解しているところだろう。
訓練すればある程度のレベルまでは到達することができるけれど、それ以上になることはないだろう。抜きん出るのは天賦の才能が開花しただけだろう。誰でもが美空ひばりやピカソになれるわけもない。それでも、自己満足で楽しむくらいにはなれるだろう。
教育についても同じことが言えると思うが、これはまた考えてみたい。
| 固定リンク
コメント