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2004/05/31

SONYは神話の彼方に

 先週、娘とCD-MDプレーヤーを買いにいった時に、娘が「AIWAとSONYはすぐ壊れるから絶対いやだからね」というので驚いた。AIWAは安い、悪いの典型だから私も勧めないけれど、SONYといえば「技術のSONY」ということで無条件に選ぶものだと思ったけれど、高校生の間ではSONYはすぐ壊れるというのが定説になっているようだ。そういえばAIWAはSONYの子会社だということに気がついた。「悪貨は良貨を駆逐する」ということなのだろうか。
 職場の仲間に、この話をしたところ。「きたきつねさん知らなかったんですか、SONYは設計寿命で確実に壊れるように作っているんですよ。ちゃんと設計寿命で壊れるように作るというのは、それだけ技術力があるということですよ」というので再び驚いてしまった。最近のSONYの製品はそんなことになっていたのか。考えを変えなくてはいけないのだろうか。
 でも、SONYはデジカメにしてもビデオにしてもデザインの一味違った良い製品を作っていると思うのだけれど、私たちの世代の神話だったのだろうか。

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2004/05/30

バードウォッチングの秘訣

 今日は日本野鳥の会の普及のエキスパート安西英明さんの講演を聞きにでかけた。6月2、3日に富士の須走で予定されている日本最初の探鳥会と記念碑の除幕式の準備で非常に忙しいらしいが、特別にということだった。
 スライドもOHPも使わずに、身ぶり手ぶりを交えて一時間の講演と30分の質問を上手にこなすものだ。やはり場数を踏んでいるからだろう。
 講演内容としては、野鳥の楽しみ方ということで易しい内容だったけれど、探鳥会で案内をする時に使えそうなTipsを沢山貰うことができた。
 カラスやスズメなどの身近な鳥のことも良く判らないことが多い。実に野生生物について勝手な思い込みや擬人化がまかり通っていていること、自分の目で観察することの大切さことを再確認できた。

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麦秋間近か

 関東の畑作地帯では秋播きの大麦が黄金色に色付き始めた。もうすぐ収穫になる。初夏の季語に麦秋(ばくしゅう、むぎあき)が使われるが、昔の関東平野の二毛作地帯ではごく普通の風景だったが、高度成長期を境に急激になくなってしまった。
 茨城県の大麦の多くは麦茶に加工されて全国に出荷される。地ビールに使われるものがあるかもしれない。麦飯の麦も大麦で、最近の麦飯用の麦は押し麦ではなく、機械で半分に割って米の形に削ったものが売られている。米に混ぜても違和感がないように工夫してる。
 初夏に麦を収穫した後に大豆か米を作り、その収穫後に晩秋から麦を作る二毛作は鎌倉時代から始まった伝統的な農業だから、麦秋は生活の中に染み付いたことばだった。それが実感できなくなった久しい。でも最近、米余りで水田の汎用利用ということで、大豆、麦が作られるようになってきたので、ところどころで麦を見ることができるようになったのは嬉しいことだ。

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2004/05/29

Lindowsの○鹿野郎

 古いノートパソコンがあるので試しにLindowsPLUSをインストールすることにした。インストール自体は簡単だったが、ここからが大変だった。まず日本語IMが入ってるはずだけれど、操作方法が全く判りません。
 ソフトをインストールしようとしてClick-N-Runというやつをつかったが、突然英語かよ!たぶんパソコン初心者が使うのは不可能に近い。
 OSのバージョンアップは手順は日本語だけれど、理解できない部分が多くて、上手くできない。
 私は、Linuxを使ったことがないので、ダウンロードしたファイルがどこにあるかもわからない。パソコンが古いのだけれど、それにしても遅い。
 これは日本で簡単に普及するのは難しいだろう。Linuxをある程度分かっていない人は使わないほうがいいだろう。Tronの「超漢字」のほうがまだわかりやすい。
 「超漢字」はソフトが少ないので、使わなくなったが、あの使える文字の多さはすばらしい。トンパ文字が使えるPCはどこにもないだろう。
 OSのバージョンアップに失敗したので再インストールとなった。難行苦行の始まりのようだ。悪女の深情けというやつは始末にわるい。なんとか更生させようなどと思うのが思い上がりなのは良く分かっているが、もう泥沼だ。
 
 

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2004/05/28

普通の一日

 気温はちょっと高めだったかが、湿度が50%位で風もあったので、オフィスの窓を開けていたので心地よい一日だった。
 年のせいか金曜日になると疲れがたまるようで、4時頃になると集中力がなくなるようだ。窓際族なのでそれほど急ぎの仕事があるわけもなく、5時になったので定時で帰宅しようと思うと、とたんに電話がなる。出ないわけにもいかないので、でたが月曜日でも間に合う用事だった。
 この季節は5時過ぎでも明るいので、早退けしたような錯覚をおぼえる。なんとなく気分がいい。
 いつものように散歩をする。夕食後、娘の誕生日のプレゼントのCD-MDプレーヤーを買いに電気店へ、Y電器は思うようなものがなく、K電器は安いけれどやはり品物が少ない、I電器と回ってようやく娘のお気に入りを見つけた。DENONの縦型の製品で、これはなかなかいい。
 帰りに本屋に寄った。本屋に寄るもの久し振りで、文庫と新書を見てみたが、読まなければならない本が沢山積んであることを思い出したので、西原理恵子さんの漫画を立ち読み。鴨と離婚したようだ。アル中で肝硬変の鴨と一緒になったのが不思議なくらいで、未亡人になるまえに離婚してよかった。
 帰宅して、風呂に入り、メールを読んで、ココログを書いて一日が終わり。土日はびっちりと予定が入っているので早めに就寝することにしよう。
 ニュースを見たら、イラクで日本人フリージャーナリストが二人死亡したという。奥さんはしっかりとしていて、覚悟しているのが潔かった。戦場に、特に危険な場所に行かなければお金にならないフリーのジャーナリストの宿命は本人も家族も分かっているはずで、テレビの騒ぎ過ぎは故人にとっては迷惑なのではなかろうか。

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2004/05/27

夏は来ぬ

 午前0時寝ようとしたらホトトギスの声が聞こえた。ホトトギスは夜中に鳴くことが多いので、夜中に目覚めた時に聞くことがよくある。「卯の花の匂う垣根にホトトギス早も来鳴きて・・」という歌にあるように、ウツギの白い花が咲く頃にホトトギスがくるのだが、私の家の辺りにくるのはちょっと遅めのようだ。
 朝の散歩の時にカッコウの声が聞こえた。託卵という変わった繁殖様式の鳥が二種類も近くにいるというのは面白い。もちろん、カッコウはオナガやホオジロ、ホトトギスはウグイスと託卵する鳥が違うので競合することはないのでいいのだけれど、託卵される鳥は堪らないだろう。
 ホトトギス科の鳥は、託卵相手が巣作りを終えて卵を産みはじめるタイミングに合わせて渡ってくるのだから、本能とはいえ感心してしまう。
 カッコウは毎年家の近くの十階建てのアパートのアンテナの上で鳴くので、同じ鳥なのだろう。高いところから託卵相手の巣を探しているのだろうか。
 4月から南アルプス天然水のおまけについていた鳥の巣シリーズのフィギュア十種類をコンプリーとすることができた。さすが海洋堂のフィギュアは良くできている。
 鳥の巣一つ一つが、良く生態を観察していて、良く考えられている。一番欲しかったシジュウカラは巣箱の中にちゃんと6個の卵が入っている。こんなものを集めるのは、家族からは評判が悪いのだが、止められない。

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2004/05/26

子育ての季節

 土浦市内の食品スーパーの軒下に何組ものツバメが巣を作っている。今年は越冬地の環境が良かったのだろうか、例年になくツバメが多い。ほとんどの巣はまだ建設中で、夫婦で一生懸命泥を運んでいる。
 泥は近くの水田から持ってくるのだろう。ツバメは巣の泥を取りに行く時以外は地面に降りることはない。足が短くほとんど歩行できないのだけれど、泥を取るためにはカラスなどに襲われる危険を犯して地上に降りることになる。
 ツバメの巣は壁と軒の境目に作られることが多いが、ここの巣は配管や照明器具の上に作っている。丸い配管の上に巣を作るのは難しいと思うが、よほど気に入ったのだろう一生懸命のようだ。
 雛が生まれると巣の下は糞が沢山落ちてくるので、お店の人やお客に嫌がられないかが心配しているが、雛が孵っている巣の下に段ボールを引いたりしているところ見ると大事にしてくれそうだ。
 時々看に行こうと思う。

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2004/05/25

バードメート

 今日、野鳥の会本部からバードメートのカワセミが届いた。一口1,000円の自然保護への寄付だ。領収書の代りに毎年違った野鳥のピンバッジが届くことになっている。今年のピンバッジはカワセミが水の中に飛び込むポーズのデザインになっている。
 バードメートになるのは野鳥の会の会員だけに限られているわけではない。野鳥の会の自然保護活動に協力したいというひとであればだれでもが参加できる。
 日本ではあまり寄付はポピュラーではないようで、寄付をするのは篤志家と呼ばれるような特別な人がするもののような意識があるようだ。それと特別なこと、例えば24時間テレビのようなイベントの時にするもののように思われている。
 寄付というのは、いつでもどこでも自分がしたいと思った時にするものだと思う。例えば、私たちにすれば読み捨てにする雑誌一冊のお金で、発展途上の何人かの子供が伝染病から逃れることができる。それを聞いて協力したいと思った時に、直ぐに行動すればいいだけだ。
 もちろん義務感を持ってしまったら、苦しくなるので、思い付いた時が一番だろう。寄付には色々なものがあるので、全てにつき合おうなどということも考える必要はない。金額はできる範囲でいい。布施のこころなのだ。
 最近はあまり目に着かないが、東京の街角でうす汚い身なりの若者が、○○難民の援助とか、花束を渡して寄付を強要する問題のある寄付と称する商売人は論外だ。ひとの善意を食い物にするのは許せない。一種の物乞い、いや詐欺行為ではないだろうか。そのような行為をしている人達は、ボランティアで良いことをしているといいながら、カメラを向けると確実に顔が写らないようにする。彼等を見ているだけで気分が悪くなる。
 
 

野鳥の会

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2004/05/24

雷が通り過ぎた

 今日は天気予報の通り夕方から雷と強い雨が降った。日中は快晴で天気予報は外れかと思っていたが、帰る頃に北の空に稲妻が光り始め、ちょっとしてからポツリ、ポツリときた。
 雷は音が聞こえないので、だいぶん遠くのようだったが、雨脚がどんどんと強くなって、ワイパーも間欠では前が見えなくなった。
 自宅に帰って東京電力の雨量・雷観測情報を見ると、筑波山の辺りに落雷のマークがいくつもついていた。雷は雨雲と一緒に南南東に移動しているようだった。
 このサイトは、6分間隔で情報が更新されているので、刻一刻と雨量・落雷・雷雲の動きが判るので便利だ。東京電力の提供ということで、営業エリアと発電所のある都県に限られるのが残念なところだ。
 雷の嫌いな人は、雷が近付いてくるのか、遠ざかっているのかをチェックしたり、出かける前に雨が止むかどうかを見たりするのにいいと思う。台風の日にどこにも出られずに、雨の動きを見ているのもなんとなく楽しい。
 今日は、午前・午後の会議の合間を縫って腐れVIOにアプリをインストールした。といっても、オフィス、一太郎、アンチウイルスくらいなもので、後はフリーソフトのエディターだから簡単だけれど、アップデートが面倒だった。
 無線ランも快調、こんどだけは許してやろう。

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自分のイメージ

 テレビや雑誌に出てくる人の顔を見て、随分老人だなと思っていて、同じ年だと分かった時のショックは若い人には判らないだろう。
 自分の中の自身のイメージは、いつまでも若い時のまま変わらないので、エッと思うのだ。もちろん、自分の年は分かっているし、老いた姿を見て何度も驚いているのだからしょうがない。特に男は鏡を見ることが少ないので、自分を分かっていないのだろう。
 女性は毎日何度も鏡に写った自分自身を見ているので、自分の顔をしっかりと認識できているのだろう。
 そういえば、もう十年くらい前だけれど、銀座を歩いていて、デパートのショーウインドウの向こうに、しょぼくれた中年男を見つけて、変な男と思ったあと、それが自分の姿だと分かった時にはものすごいショックだったことを思い出した。
 これから朝晩、いや一日に何度も鏡を見て、自分に驚かないように鍛練することにしよう。

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2004/05/23

サクランボの季節

 スーパーの店頭で赤黒いアメリカンチェリーが売られている。どうも色が食指が動かない。もう少しすると国産の瑞々しい桜桃が手ごろな値段で店頭に並ぶことだろう。
 私の住む街では、一足早くソメイヨシノやヤマザクラのサクランボが色付き始めている。ヒヨドリやムクドリが嬉しそうに集まってきている。
 街路樹などに使われる桜は、実を着けないものを使うのが普通だ。でも、この街が作られる時に、無理矢理色々なところから木を集めたので、実がなってしまう桜が町中にある。
 木によっては赤黒くて大きなサクランボがなっているので、つい食いしん坊の私は散歩の途中で口に入れてみる。もちろん食用ではないので、当たりはずれがあって、酸っぱい、苦い、甘いが組み合わさった複雑な味がする。でも、中には良い感じのサクランボもある。
 同じ木でも枝によって当たり外れがあるので、この時期だけの楽しみにしている。今日のは口の中が黒くなっただけの外れだった。

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2004/05/22

WindowsXpのバカ野郎

 今日は腐れVIOのB5ノートの調子がおかしいので、とうとうリストアすることにした。立ち上がるのだがグジグジと時間ばかりかかって、動いても直ぐに砂時計が出てきて動かなくなる。
 アプリケーションは動くが、いくつか立ち上げると止まるし、終了しても電源が切れたり、切れなかったり、もうイライラするばかりだ。後から入れたアプリケーションのインストールが面倒で我慢していたがもう切れそうになったので、強行手段にでることにした。
 このVIOを使いはじめて一年半だけれど、Macintoshと一緒に使っていると変なことばかりが気になる。仕事場ではWindowsなので仕方なく使っているという気持ちが悪いのだろうか。
 WindowsXpを使いやすくするための記事が色々な雑誌に出ているけれど、レジストリーの中まで弄繰り回さないと快適に使えないとなると、ただ道具として使っている私のような素人にはもうお手上げになる。買ってきて電源を入れたら軽く立ち上がって、何も考えずに使えないものだろうか。
 ネットワークの設定も分かりにくい。言葉が変。
 やっとリストアとアップデートが終わった。明日からアプリケーションのインストールとアップデートかと思うとぐったりする。

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小泉首相選挙対策失敗?

 今日は朝から小泉首相のパフォーマンスを一日中映していた。平壌空港には次官しか迎えに出ず、一時間半ほどの会談で総べて終了という幕切れだった。
 拉致家族の奪還は一見成功のようだが、全面解決というわけでもなく、その代償は大きいと思う。家族会の怒りはもっともだと思う。
 どうも明日の朝日新聞みたいなことしか書けないのが悲しい。
 子供達に会えた二組の家族はよかったと思うが、とんでもない奴が沢山いるので、色々な妨害を受けるのではないかと心配だ。彼等のこれからの暮らしが平安であってほしい。
 小泉首相は夏の選挙に向けて、年金問題のごたごたなども吹き飛ばす効果を狙ったのだろうが、完全に失敗だろう。でも選挙はサイレントマジョリティーがサイレントのままだろうから自民党が勝つことは決まっているのだろう。
 

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どうも疲れる

 毎日早めに日記を書こうと思うのだが、ここ数日、帰宅が遅いせいかパソコンに向かうのが、12時を回ってしまう。
 今日も、朝から会議が延々と長引いて、終わったのが午後9時半過ぎだった。予測していたが、疲れること甚だしい。どうでも良い内容の時は寝てるけれど、今回はちょっと無理な内容だった。遠くから来ているメンバーは可哀想に。
 帰って夕御飯を食べて風呂に入ったらこんな時間になってしまった。
 明日は4時起きで鳥の調査に行こうと思ったが、この調子だと起きることができないだろうなあ。
 テレビは「タモリ倶楽部」をやっている。普通は11時半には寝ることにしているので12時過ぎのテレビ番組は見られなくなってしまった。
 「土木界のアート・ジャンクション鑑賞会」ということをやっている。高速道路のジャンクションは、走り易いところと、難しいところはあるが、形を想像したことはなかった。
 渋滞の名所「箱崎JT」は設計が悪くて複雑なようだ。そういえば、何時も使っている高速バスは呉服橋から箱崎に入り口を変えたので、あまり渋滞に会わなくなった。
 「空耳アワー」も随分長く続いているのではないだろうか。
 早く寝なくては、でも読まなければならない本がどんどん溜ってくるし、年はとりたくないものだ。
 さあ寝よう。

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2004/05/21

どこまで続く泥濘ぞ

 三菱自動車の欠陥隠しがまた明らかになった。それも車の安全にかかわる動力装置やブレーキの欠陥を十年以上も隠していたという、これは企業の重大犯罪だ。分社化した三菱ふそうという会社の起こしたことという言い逃れはできないだろう。
 死亡事故が起っていても運転者の速度の出し過ぎや不注意で処理されていたのではないと思うと、背筋が寒くなる。ブレーキの利かない自動車は凶器以外のなにものでもない。
 きたきつねの家では三菱自動車の車を二台も使っているが、非常に不安だ。昔から技術の三菱というブランドイメージだったはずだが、これでは嘘つきで自浄能力のない最低の企業というイメージが定着するだろう。
 このような企業風土をもつ会社は、株価の低下どころではなく、企業の再建そのものができなくなるのではないだろうか。
 普通の感覚では、三菱ブランドの自動車は買わないということになるだろう。

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2004/05/18

ビール風味炭酸アルコール飲料

 私はお酒は飲めるけれど、飲酒の習慣がない。習慣がないというのは、晩酌、寝酒といったように決まってお酒を飲むことがないということだ。そのため、自分からお酒を飲むことがない。
 でも、飲みに行こうと誘われると断ることはないし、宴会は嫌いではない。お酒を飲む雰囲気は好きだから、だいたい最後までつき合うことが多い。
 沢山お酒を飲まない分お酒の味は良く判ると思う。ただビールだけは一杯目だけは美味しいが、二杯目はいらない。だからビールに興味がないので、あまり銘柄は知らない。
 妻がビールが好きで、最近は安いというので発泡酒を飲んでいるので、ビールの他に発泡酒というのは知っていたが、最近「ビール風味炭酸アルコール飲料」というのが発売になったという。
 「ビール風味炭酸アルコール飲料」というのは、発泡酒に麦焼酎を混ぜたお酒ということで、リキュール類になるのだそうだ。どこかの田舎の居酒屋で飲んだ「ホッピー」とどうちがうのだろう。
 そのうちカラメルで色を付けた焼酎の炭酸割りに苦味を加えた「ビールもどき」になったりして。その前に「ホッピーの焼酎割り」の缶が出るだろう。
 酒飲みにとって、ビールと同じような色で、泡があって、あとは酔うことができればいいのだろうか。美味しいお酒を気持ちよく酔えるくらい飲んだほうがいいと思うのは、酒飲みの気持ちを判らないからだろうか。
 

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2004/05/17

イスラエル民衆の良心

 15日夜にイスラエルのテルアビブで、パレスチナ自治区のガザからのイスラエルの撤退を求めるデモに15万人の市民が参加したという。
 強行派の支持者が多く、パレスチナの存在自体を認めていないように感じるイスラエルでこのような大規模なデモが行われるというのは素晴らしい。
 イスラエル民衆にも平和と共存を求めている人達がいるとは思ったが、暴力による鎮圧の可能性もある状況で、人が集まってくるという勇気にエールを送りたい。
 今の日本人が同じ状況に置かれたらどのような行動に出るだろうか。政府を批判するが、選挙に行かないという国民の行動は想像できるので、悲しくなってきた。

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ダイエットで不況?

 アメリカでは今「ローカーボンダイエット」がブームになっているそうだ。炭水化物の摂取を極端に減らし、肉等のタンパク質をたっぷり取るという方法らしい。インスリンが不足している糖尿病者が意図せずに激ヤセするメカニズムと同じらしい。
 ブームが行き過ぎて、パスタやパンの売り上げが落ち、メーカーの株価が低迷していて、会社更生法を申請する会社も出ているという。
 二億人の17%がこのダイエットを経験しているということだけれど、なんだか気味悪い。「パンなしハンバーガー」というものも売られているようだ。肥満が問題になっているアメリカでダイエットは不可欠のようだが、何事も行き過ぎは問題だろう。
 ビュッフェでローストビーフを食べ過ぎて追い出された夫婦がいたらしいが'、炭水化物を食べないからといってローストビーフを食べ放題するというのは、どうもめちゃくちゃだ。
 「ローカーボンダイエット」は「低炭水化物ダイエット」とか「ローカブダイエット」などと呼ばれて日本でも実践している人がいるらしいし、薬もあるようだが、無闇に実践するのはいかがなものだろう。太ってもいない若い女性が挑戦するのが心配だ。

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2004/05/16

モズの巣立ち

 朝早くからモズが「キチキチ」と庭で騒がしく鳴いていた。それに答えるように「ジージー」と鳴く声が聞こえてきた。
 そっとカーテンの隙間から外を見ると巣立ち雛が窓の下の草の上にいた。近くの木の枝に止まった親が雛を呼んでいた。
 雛はまだ尾羽が短く、それほど飛べないようで、ピョンピョンと跳ねて庭の中にでていった。
 親鳥が降りてきて雛に餌を与えてから、飛び去った。雛はまた餌をねだって鳴くと、少し経ってから親鳥が餌を運んできた。
 近くにカラスがいるので親が雛を安全な場所に誘導していたのだろう。暫くして雛はどこかに隠れてしまったようだ。
 二週間ほど前から雛の声が聞こえていたので、繁殖していたのは分かっていたが、今日が巣立ちの日だったのだろう。毎年家の周辺に来ていたモズが、今年は我が家の庭に巣を作ったんだろう。
 庭には近所の猫が遊びに来るので、襲われなければいいのだが。
 手入れのしていない庭には、シジュウカラとムクドリの巣箱を架けてあるが、シジュウカラは去年まで五シーズン繁殖してくれたが、去年はカラスに雛が襲われたようで、今年は巣箱を使っていないようだ。
 

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2004/05/15

武士の家計簿

 若手歴史学者の磯田道史さんが新潮新書に書き下ろした「武士の家計簿」を読了した。
 加賀藩の御算用者の猪山家が幕末から明治までの間に記録した家計簿と書類を、歴史の視点で易しく分析したものだ。
 武家の家計の状況や明治維新を迎えた武士の暮らしの変容が手に取るように判る。断片的な資料から推測するのではなく、一貫した資料を基にしているところが、画期的だ。
 何よりも、これだけの資料が良く残されていたものだ。
 色々な記録の多くは、特異な出来事が記録されることになるので、日常の細々したことは判らないことが多いはずだろう。日記は日常のことも書かれることもおおいので、昔の生活を垣間見ることが可能だ。
  これまでも、石川 英輔「泉光院江戸旅日記―山伏が見た江戸期庶民のくらし」(講談社)。イザベラ バード 「 日本奥地紀行 」( 平凡社ライブラリー)、神坂 次郎「 元禄御畳奉行の日記―尾張藩士の見た浮世」(中公新書 )などがある。それらよりも、この本の強みは家計簿という証拠書類があるのがパンチがある。

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里山へ散歩に

 ポカポカといい陽気になったので、近くの里山に出かけた。里山保全のNPOは地権者から土地を借りて田畑を作り、林の整備をしている。今年もカエルの声に励まされて、田植えが始まっていた。周辺の小学校や幼稚園から田植えにくるようだ。今は親も子供も泥の中に入ることなどないので、良い経験になっているということだ。
 開けた谷津の上をサシバが舞い、雑木林の中でウグイスがさえずっている。ぽかんとした時間を色々な彩りの緑に囲まれて過ごすのは、なんともいえない楽な気分になる。
 谷津田の上の溜池の土手に登ると、池には渡りの途中のコガモが翼を休めていた。夏になるとハス、ヒシが水面を覆い尽くすことになる。
 雑木林の中の細い道を進むと、足元からシマヘビがはい出して薮の中に消えて行った。昆虫や植物のことは判らないが、杉や桧の造林地と違って種類が多いことだけはわかる。多様な自然
 管理されていない雑木林は、アズマネザサが繁茂し、明るい場所は葛が蔓延っている。葛の新芽でも摘んでテンプラもいいなと思いながら通り過ぎる。
 心地よい汗をかいて帰路に着いた。

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2004/05/14

だんだん怖くなってきた

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 昨日、東京から高速バスで帰ってきた。運転が結構荒い運転手だった。このバス会社の運転手は、平均的に荒いところがあるので、さほど気にしてはいなかった。
 高速を降りて、自宅近くのバス停の案内があったので、降りる準備をしていて、ふと運転手の方を見た。料金箱の横にどこかで見たことのある空き缶があった。缶チュウハイの500mlの缶だった。横にツマミの袋らしきものまである。
 高速バスの運転手の飲酒事件があったのを思い出して、急に怖くなった。ということで、一応、デジカメでチェックした。バスの運転手は乗車前にアルコールの呼気検査をしていると思うが、乗務の間の休憩時間に飲酒してもチェックはないわけで、飲酒運転されて事故でも起こされたら冗談ではない。
 バスの運転手は、プロだから飲酒はないと考えたいし、飲んでいないと思いたいが、チュウハイの空き缶を車の中に置いておくというのは、いかにも無神経ではないだろうか。
 

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戦略とは

 「戦略」というのは「戦いを略すこと」だということをどこかで読んだことがある。確かに文字通りなのだが、もっと積極的な戦いの備えや準備をいうものだと思っていた。
 戦いを略すということは、兵や兵器の消耗がないわけだから、これほど良いことはない。無駄を避け、資源の損耗を無くすための戦争の方法が「戦略」ということになるのだろうか。
 戦わずして勝つということなのだろう。「戦略核」というのは、戦いを抑止することで戦いを避ける核兵器という意味で付けたのだろうか(??)。
 
 

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2004/05/13

ビジネスショー

 IT関連の最新情報を期待して、今年もビジネスショーに出かけた。若い人達が作った面白いソフトがいくつかあったのが収穫だったが、見本市としては期待外れだった。
 ビジネスショーは晴海の見本市会場の全館を使って人が溢れている頃から見に行っているが、バブル崩壊後は年々規模が小さくなってしまった。主催者発表が212社で、昨年三百数十社だったから30%以上の減だ。会場内はブースがまばらに配置され、人も少なく寂しい状況だった。
 東京駅から東京ビックサイト行のバスに乗った時には、満員だったので、今年は人が多そうだと思ったけれど、会場に着いてみたら人は同時開催の日本ホビーショーへ向かっていた。どおりで年輩の女性が多いはずだ。ビジネスショーとホビーショーの動員数は1:10位の感じだった。
 ビジネスショーは無料なのに、有料のホビーショーに負けるというのはいかがなものだろう。会場が向い合わせだったので入り口から中を見ると人が一杯だった。
 来年のビジネスショーはなくなるかもしれない。それにしてもホビー特に手芸は大きなマーケットがあるようだ。財布を握った主婦が主役のビジネスはすごいと思う。

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教育の平等と公平

 日本国民には、教育を公平で平等に受ける権利と義務がある。けれど、それは機会のことであって、教育の内容は違ってもしかたがないと思う。個性と能力の違いがあるのだから、それぞれに合った内容の教育を受ける権利があるのだろう。
 それよりも問題なのは、教育を受ける者が、公平でかつ平等に教育のできる教師を選べないことだろう。変態、暴力、無能な教師に出会うことの方が大変だろう。受験問題が全くできない数学教師や楽器が弾けないために指導ができない音楽教師のことが新聞にでていたが、こんなのに出会ったら不幸を通り越して子供が苦しむだけだろう。
 私は、小学五、六年の二年間に素晴らしい先生に出会えたことが、生涯の指標を得られたと思っている。その時のクラス全員が幸せだったと思う。
 

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2004/05/12

寛永通宝は・・・・

 今日のトリビアは、「江戸時代に鋳造された「寛永通宝」が昭和28年12月31日まで通用していた」というやつだった。
 「寛永通宝」は一厘として使うことができたそうだ。一厘は、一銭の十分の一、一円の千分の一だから、戦後のインフレでは事実上は使われなかったと思うが、300年以上も通貨として使えたというのは驚異だった。
 一銭以下のお金は昭和28年に法律で使えなくなったそうだ。子供の頃、1円、と10円の紙幣を使った記憶がある。でも、銭の単位のお金はおじいさんが持っていたのを見たことはあるが、実際使ったことはない。
 戦前の葉書は、一銭五厘だったと聞いたことがあるが、その時に「寛永通宝」が使われていたのだろうか。それとも単に「寛永通宝」を持っていれば一厘の価値があるということだったのだろうか。
 毎週、「トリビアの泉」を見るために急いで帰ることにしている。役に建たない知識が増えるのは、大好きだ、実に面白い。

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2004/05/11

はねトび

 毎週火曜日の11時から放送しているフジテレビの番組「はねるのトビら」は面白い。
 若手お笑い芸人が出演するコント番組で、挑戦的な特にトランクドラゴンの塚地、インパルスの板倉、ロバートの秋山がいい。女を捨てた北陽もいい。
 秋山が、お宅の塚地の子供の設定で「お父さんさ、お父さんさ、お父さんさ」とくり返すあの「哲哉とお父さん」が一番好きだ。
 この種類の番組は、遅い時間帯が似合う。ウンナンの「笑う犬の生活」も深夜枠からゴールデンに移ったとたんに、毒が消えて続かなくなった。
 誰にでも判るお笑いではないから、見たい人がみるという時間帯を設定しなければいけない。

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思えば遠くへ来たものだ

 今日は職場の永年勤続者表彰式があった。本当はもっと早くに予定されていたようだが、他の行事が重なって、連休明けという遅い時期になってしまったようだ。
 きたきつねはなんと三十年勤続ということで、賞状と記念品を貰った。年長者ということで、受賞者を代表して挨拶させられた。
 小心者で、口下手のきたきつねは逃げ出したかったが、えいやと短く簡単に終わらせて一安心。
 三十年ということは、定年まで残りがなくなったということになる。でも光陰矢のごとしというが、あっとゆうまに三十年過ぎてしまった気がする。気分的には、今でも若い気でいるからだろうか。
 ここまできたら、今の子会社を辞めさせられないように静かにしてしなければ・・・・。でも、小心者のくせに、上には文句をいうというねじれた性格だから困ったものだ。
 
 

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2004/05/10

ゆとり教育とは?

 「百ます計算」、「漢字の前倒し指導」などで有名な尾道の土堂小学校の陰山校長のインタビューを読んだ。「ゆとり授業」、「発展的学習」などの問題点を適確に指摘していて、共感できる内容が多かった。
 確かに私たちの子供時代は、毎日6時間授業で、土曜日も学校があったけれど、そんなに苦に感じた記憶はない。教育というのは、反復と脳への負荷が必要だろう。「百ます計算」は達成感と高揚が得られるところが、受け身で授業を聞いているよりも優れているのだろう。公文式算数やステップ学習も同じだと思う。
 読み、書き、計算が確実にできるようになれば、自分から勉強することが苦にならなくなるだろう。「難しい漢字が読めるようになった小学4年の子が『奥の細道』を音読してあるいていたら、近所のおばあちゃんにほめられた」話をされていたが、漢字を覚えたことが喜びに変わるという快感は勉強への意欲を増幅する効果があるだろう。
 私も小学生の頃、叔父さんが引っ越しの手伝いで貰ってきた旧漢字の文学全集をルビを頼りに読むことができるようになり、回りの大人に誉められて読書が楽しくて仕方がなくなった。そうして、知りたがり坊やになったという思い出があるので、この話は共感できた。
 詰め込み教育の結果、子供に余裕とゆとりができるというのは、うなずける。平等な教育を目指そうとすると、平均に合わせてもだめで、一番下に合わせることになる。そうなると、授業内容はゆとり満載になるから「ゆとり教育」というのかもしれない。一番下に合わせることは、全体がそれ以下になるということは、労働組合運動に似ているようだ。
 

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2004/05/09

縁起は担がないが

 今日は朝から久し振りに近くの公園とその周辺の水田を巡った。天気予報では午後から雨ということだったので安心していたけれど、途中ポツリポツリと雨が落ちてきた。
 公園は農業用の溜池を中心に造成されていて、池から流れ出す小さな川に沿って谷津田がある。霞ヶ浦周辺の典型的な風景かもしれない。
 ヒバリが高く舞い、ウグイスがさえずる中を歩き始めた。池周辺の芦原ではオオヨシキリが「ギョギョシ、ギョギョシ」と声を張り上げ、池の中ではカワセミがホバリングして、魚を捕るところを見ることができた。
 雑木林に入ると日本で一番小さなキツツキのコゲラが、一心不乱にコツコツと木に巣穴を掘っていた。入り口の工事は終わり、下に向かって穴を広げているようだ。巣穴の入口はコンパスで描いたように真ん丸なところは何時見ても感心する。
 近くにサギのコロニーがあるので、サギ類が頻繁に頭の上を通過する。これで天気がよければ申し分ない。
 毎年初詣でに行かせてもらっている鹿島神社の末社の横を通って、地元の小さな墓地を通る。この辺りはまだ土葬の風習が残っていて、土饅頭がある。不思議と気味が悪いということは感じない。死について考え方が定まったせいだろう。
 墓地の塀の上にアオダイショウの長さ1.8mくらいの抜け殻が載っていた。脱皮したばかりのようで、非常に綺麗な抜け殻だった。蛇の抜け殻は縁起が良いというらしいが、縁起や験を担ぐことがなくなってしまったので、単に美しい自然の姿( ?)に感心していた。
 途中から雨が本格的に降り始めたので、退散した。

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2004/05/08

消耗品としての住宅

 今日の新聞に住宅とマンションの広告が沢山入ってきた。広告が増えたのは、連休も終わり、季節も良くなってきたわけでもなかろう。
 飛行機に乗って千葉の上空を飛ぶと総武台地の雑木林だったところが軒並み一戸建て住宅の団地になっている。私の住む町も、畑が住宅団地に変わっている。特に、つくばEXPRESSの沿線の住宅団地開発が進んでいるようだ。
 私自身は賃貸に住んでいて個人住宅を考えないでもないが、どうも今一歩進めない。それは、今の住宅が一代限りの消耗品のような感じがするからだ。
 新興住宅を見ていると、最初に子供のいる夫婦が引っ越してきて、子供はだんだん大きくなって、遠くの大学に入るか就職するとでていってしまう。残るのは、年老いた夫婦だけとなって、その夫婦が死んでも子供はその家に戻ってくることはなく、古くなった家は手放され、壊され新しい家が建つことになる。子供達は新しい場所で新しい家を建てるということをくり返すことになる。
 自分自信も親の住んでいた地方都市を出てきて、三十年以上になりたぶんもう故郷に戻って住むことはないだろう。昔は地域で生活できたので、親代々同じ場所で暮らすことができて、住宅も再利用されてきた。
 確かに、合板と新建材でできた住宅の寿命は昔の在来工法の住宅に比べて短くなるが、それにしても年収の5倍くらいのお金を投入して一代限りの消耗品となるというのはどうだろう。

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2004/05/07

陸稲栽培日本一

 茨城県はわが国有数の農業県だが、色々な農産物を生産することができるため特長がないといわれることが多い。例えば暖地のミカンと寒冷地のリンゴが採れるということだ。
 東京に隣接しているのに首都圏に入れてもらえず、東北ではないかと思われていたりする。実際、神奈川県平塚市と茨城県つくば市は都心からほぼ等距離になるけれど、つくば市は僻地の扱いとなる。
 そんな茨城県の農産物は養豚、メロンなど生産量ベストテンに入るものが多い。中でもあまり知られていないものに陸稲(おかぼ)がある。
 陸稲は字の通り畑で作る稲で、始めてみた時は変な感じがした。陸稲はうるち米よりももち米が多く作られていて、せんべいなどの材料として使われる。
 陸稲の生産は、ほ場整備事業で水田が沢山作られたため、全国的にも非常に少なくなってしまっている。そんな中で、茨城県は全国の陸稲栽培面積の七割を占めて日本一となっている。というのも、茨城県は常総台地と呼ばれる関東ロームの台地が広い面積を占めていて、台地部では水の便が悪く水田を作ることができなかったということもある。
 日本人は、どうしても米を作りたいようで、水がないという条件であれば陸稲をつくることにしたのだろう。
 わが国の陸稲の品種改良は、唯一茨城県だけで実施されていていて、現在も新品種が作られている。干ばつに強く、味の良い品種「ゆめのはたもち」は、2000年にデビューしている。
 現在わが国には多くの水田があるが、実際にはポンプで水を汲み上げている地域もあって、電力がなくなった時には水稲を作ることはできなくなる。そんな時に陸稲は重要な穀物資源となるだろう。大事にしたいものだ。

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2004/05/06

企業の倫理って

 三菱ふそうトラック・バスの前の会長、常務など幹部が逮捕され、家宅捜査が入った。リコール隠しがこれほど続くと社会的な信用は全く無くなるだろう。
 別会社になったといっても、三菱ブランドの自動車全てが信用できなくなる。実は今乗っている車が二台とも三菱自動車製だからなおさらだ。中の一台は最近リコールになったと同じ車種だったが、4WDではないので対象外で一安心。
 企業は利益を上げなければならないが、利益だけを追求すればいいわけではないだろう。企業も社会の一員としての責任がある。コンプライアンスのない企業は存在すべきではないだろう。
 三菱ふそうトラック・バスの社員は一人一人は、倫理観のある普通の社会人だと思うが、組織となると別の人格になってします。このことは、なにも三菱ふそうトラック・バスに限ったことではなく、広くあり得ることだろう。だからといって許されることではない。
 信用を失うことは一瞬で、回復には想像以上の時間がかかるのだから、損得勘定を考えても得には絶対にならない。企業はイエスマンばかりを集めることは自らの命を短くするのだろう。

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2004/05/05

子どもの人口減

 日本の15歳未満の推計人口が23年連続の減少していることを総務省が発表した。総人口に占める割合も30年連続の減少となっているということだ。急速な少子化傾向は顕著になってきているようだ。
 子供が減るということは、産業界は労働者が減り、物を買う人口も減るということで、国の衰退につながると警鐘を鳴らしている。確かに人口が減るということは、年金、税金などだけでなく、学校等の関連の職場にも影響がでてくる。なぜ子供人口が減っているのかの原因を探して、対策を考えるほうが先だろう。
 最近は聞かないが、DINKSという言葉が流行った時期もあったが、生活が豊かになると、もっと豊かに暮らしたいと考えるようになって、そのためには手間をかける必要がある子供を嫌うことがあるだろう。子供には本当にお金と手間がかかることは間違いない。三人、四人となると教育費も相当な金額になる。
 養老先生ではないが、脳化が進んだ社会は、自然を排除するので、自然である子供は排除されることになるのかもしれない。日本の社会が将来に展望がないために、国民の深層に子供を育てることを回避しようとしているのだろうか。いろいろな理由があるだろうが、子供人口の減少がなかった昭和四十年代は今よりも子育てが大変で、今のほうがいろいろな面で子育てし易い環境にあるのではないだろうか。
 そこには何か大きな自然の意志があるのではないかと考えてしまう。

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2004/05/04

島へ鳥詣で

 酒田市の飛島に行ってきた。飛島は、酒田沖に浮かぶ小さな台地状の島で、対馬海流の影響で東北にありながら照葉樹林がある温暖なところだ。島の成因は不明と言う。
 冬の季節風を避けるように南と南東側の台地の回りの狭い海岸に人家が連なっている。対岸に雪をかぶった鳥海山が見える。漁業の島だが、民宿と旅館が民家の半分くらいあるようで、普段は磯釣りの客が沢山くるようだ。
 4月末から5月中旬までは、そんな釣り人のための島がバードウォッチャーで埋まることになる。海上を渡る鳥が羽を休める絶好のポイントになっているので、珍しい鳥を求めて本州各地からバードウォッチャーが集まってくる。
 小さい島なので、鳥が餌を食べ、休む場所が限られていて、徒歩で廻ることができ、運が良いと100種ほどの野鳥にあうことができるのが魅力で、毎年通う人がいる。私もそんな一人として数シーズン通っている。
 今回は天気が良すぎたためか、渡り鳥もちょっと休んでは、北の繁殖地にむけて旅立ってしまていて、種類も数も少なく、外れ年だった。それでも70種類ほどの鳥に出会うことができた。中でも個人的に初記録の鳥が3種類も見ることができた。1種類は長い間見たいと思っていたヤツガシラという鳥だったので、祝杯をあげてしまった。
 二泊三日の充実した旅になった。宿は民宿、海産物満載の食事という次第。風呂もあるし、電気もあるけれど、日の出から日没まで外を歩き回って、食事が終われば8時には就寝ということなので必要がない。疲れた身体には睡眠が一番のごちそうなのかもしれない。年に一度の強行軍だけれど、楽しさにまた来年も来たくなるという中毒になっている。
 渋滞の道路を8時間かけて自宅に帰って、風呂に入り極楽、極楽。

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2004/05/01

農業の未来

 昨日、大学の後輩の紹介で、学生が就職相談でやってきた。修士二年で色々と迷っているようだった。要するに本当にしたい仕事があって目標があれば、徹底的に頑張ってピッタリの職場にトライするのがいいと思うと当たり前の話した。
 もし、特定の目標がないけれど意欲があるのであれば、どのような仕事でも自分の培ってきた基礎学に立脚して仕事をしていけばいいと思う。大学院で研究の過程で得た考え方や仕事の方法を応用して、ユニークに仕事をすればいい。普通に生きたければ、人と同じことをすればいい。秋葉原の駅前で説明販売をしている売り手もユニークだから売り上げが人と違うわけだ。
 そんな話をして相談は終わったのだが、帰りに日本の農業は無くなるんでしょうかという面白い質問がきた。農学系の学生だから気になるという。
 農業の問題は、他産業と同じパラダイムで考えるとそんな質問になるのだろう。私の答えは単純だ。いつも「君は車に乗るのを一週間我慢できるだろうけれど、食事を一週間我慢できるか」と聞くことにしている。食事を一週間我慢することは堪え難いはずだ。農業を効率とか収益という切り口で語るのは間違っている、命の問題として考えるべきだろう。
 農業と林業は、植物と動物を使って太陽エネルギー、水、大気を使ってバイオマスという形で物を作り出す仕事なのだ。太陽エネルギー、水、大気で作られたバイオマスが気の遠くなるような時間の中で変化した化石エネルギーを消費していくだけの工業とは違う。もちろん現在の農業は化石エネルギーに依存するエネルギー消費型になってしまっているが、古代から人が食物からとるエネルギーだけで農業をしてきたのだから、問題ないはずだ。
 エネルギーが自由に使えなくなった時には、現在のように食糧の七割近くを海外に依存することは不可能になる。自国内でも食糧を簡単に移動することができなくなることも想定できる。自分達の食糧は自分で作ることが基本となるので、そこのところ視野に入れて農業を考えて行かなければならないだろう。
 こんなこと等を話した。食事と自動車のようなことを考えたことはなかったようで、ビックリして帰ったけれど、後輩からのメールでは希望があって喜んでいたようだ。

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