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2004/05/08

消耗品としての住宅

 今日の新聞に住宅とマンションの広告が沢山入ってきた。広告が増えたのは、連休も終わり、季節も良くなってきたわけでもなかろう。
 飛行機に乗って千葉の上空を飛ぶと総武台地の雑木林だったところが軒並み一戸建て住宅の団地になっている。私の住む町も、畑が住宅団地に変わっている。特に、つくばEXPRESSの沿線の住宅団地開発が進んでいるようだ。
 私自身は賃貸に住んでいて個人住宅を考えないでもないが、どうも今一歩進めない。それは、今の住宅が一代限りの消耗品のような感じがするからだ。
 新興住宅を見ていると、最初に子供のいる夫婦が引っ越してきて、子供はだんだん大きくなって、遠くの大学に入るか就職するとでていってしまう。残るのは、年老いた夫婦だけとなって、その夫婦が死んでも子供はその家に戻ってくることはなく、古くなった家は手放され、壊され新しい家が建つことになる。子供達は新しい場所で新しい家を建てるということをくり返すことになる。
 自分自信も親の住んでいた地方都市を出てきて、三十年以上になりたぶんもう故郷に戻って住むことはないだろう。昔は地域で生活できたので、親代々同じ場所で暮らすことができて、住宅も再利用されてきた。
 確かに、合板と新建材でできた住宅の寿命は昔の在来工法の住宅に比べて短くなるが、それにしても年収の5倍くらいのお金を投入して一代限りの消耗品となるというのはどうだろう。

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