ゆとり教育とは?
「百ます計算」、「漢字の前倒し指導」などで有名な尾道の土堂小学校の陰山校長のインタビューを読んだ。「ゆとり授業」、「発展的学習」などの問題点を適確に指摘していて、共感できる内容が多かった。
確かに私たちの子供時代は、毎日6時間授業で、土曜日も学校があったけれど、そんなに苦に感じた記憶はない。教育というのは、反復と脳への負荷が必要だろう。「百ます計算」は達成感と高揚が得られるところが、受け身で授業を聞いているよりも優れているのだろう。公文式算数やステップ学習も同じだと思う。
読み、書き、計算が確実にできるようになれば、自分から勉強することが苦にならなくなるだろう。「難しい漢字が読めるようになった小学4年の子が『奥の細道』を音読してあるいていたら、近所のおばあちゃんにほめられた」話をされていたが、漢字を覚えたことが喜びに変わるという快感は勉強への意欲を増幅する効果があるだろう。
私も小学生の頃、叔父さんが引っ越しの手伝いで貰ってきた旧漢字の文学全集をルビを頼りに読むことができるようになり、回りの大人に誉められて読書が楽しくて仕方がなくなった。そうして、知りたがり坊やになったという思い出があるので、この話は共感できた。
詰め込み教育の結果、子供に余裕とゆとりができるというのは、うなずける。平等な教育を目指そうとすると、平均に合わせてもだめで、一番下に合わせることになる。そうなると、授業内容はゆとり満載になるから「ゆとり教育」というのかもしれない。一番下に合わせることは、全体がそれ以下になるということは、労働組合運動に似ているようだ。
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近づく「超」少子化時代と私学経営の「超」相関関係を考察する
私立中学受験もひと段落したのもつかの間、後期と言う聴きなれない言葉で二次募集が行われている。ベストで臨んだ受験だったのにくやし涙にくれた方もおありだろう。中には前期でだめだった学校を再び目指す子供たちもいるようである。そして学校側も振るいにかけておきながら、より優秀な生徒を求めてか二次募集をしている。二次募集をしていない学校ももちろんある事も、ご存知であろう。
公立と違って私立は、経営において生徒の確保が最重要課題に挙げられる。進学率やスポーツなどを売りにして生徒募集は始まるが、どうしても世の中の景気動向などに影響されがち。きっと進学や教育の優秀な先生がいるように、生徒獲得、市場調査、経営全般においてもプロの事務方が知恵を絞られている事だろう。国からの補助金は減る、しかし簡単には授業料は上げられない。生徒は減っていく。レベルを保つのも大変になるだろう。そういう事情をそこに通う生徒や保護者は、知っておく必要もこれからは出てくると思う。学校法人ではなくて株式会社の中学校が存在する時代であるからだ。
2007年には全国の大学の募集定員と、高校を卒業して大学を希望する子供たちがほぼ同じになるらしい。それで知事は工科大学学長の人選に異議を唱えている。学問以上に経営的手腕のある、数字の読める人材を求めているようだ。県外ではもう公立学校に民間からの校長が選ばれたりしている。また、各都道府県教育委員会は、優秀な先生の引抜をもくろんでいると言う。百ます計算などの算数メソードで知られる有名な先生が、ある県から校長として他県の校長として移った時、去った県の関係者はさぞホゾを噛んだことだろう。
高知において近い将来、私学の募集定員と私学希望生徒数との関係が劇的に変化した時、受験はどうなっているだろうと、ふと思った....。株式会社の徹底した少人数「超」進学私立中高が出来ているかもしれない。進学率で株価が変わるので、全寮制24時間勉強尽くめの学校。先生には有名大学進学ノルマが課せられるれ、有名大学合格一人につきボーナスが出たりする。だから先生も必死で俄然進学率は上がり「超」有名進学校になる。するとそれに入るための「超」進学塾ができて「超」過密な受験勉強が始まり、「超」寝不足の子供たちが増え、ますます「超」不健康な子達が激増するかもしれない。そんな事が果たして「超」良い事なのだろか...考えただけで「超」恐くなってしまった。
投稿: Juku-cho | 2005/02/28 09:09