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2004/06/30

さっぽろ文庫

 今日すごいサイトを見つけてしまった。
 昭和52年に創刊された叢書「さっぽろ文庫」100巻の内45巻がオンラインで読めるようになっていた。さっぽろデジタルアーカイブ協議会が提供しているサイトで、札幌生まれのきたきつねには堪らなくうれしい。
 デジタルブックは、T-Timeファイル形式で作られていて、Macintosh68kのOS7.61からOSXまで、Windowsは95/98/98SE/Me/NT4.0/2000/XPとほとんどのバージョンに対応している。
 文庫といっても相当ページ数が多いので当分楽しめそうだ。
 育った場所のことは意外と知らないことが多いので、ちゃんと読んでみることにするつもりだ。

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2004/06/29

プロジェクトXの劣化

 今日のプロジェクトXを見ていて、気になっていたことがはっきりした。
 始めの頃は、テーマも良かったし、番組として非常に新鮮だった。日本が高度成長する過程で、先進国にキャッチアップしていくドラマが、多くの人々の心に響いた。
 番組も長くなってくると、マンネリは避けられないにしても、無理に困難だ、困難だといった内容にしてしまっているような気がする。
 ヘドロの沈下などは、未知の現象ではない。八郎潟、児島湾、八代などの干拓事業で克服してきたし、羽田のずっと前から東京湾の埋め立ては行われていて、湾岸の高速道路工事でも問題として認識されていたはずだ。それに昭和40年代から羽田を頻繁に利用していたが、空港がそれほど混雑したという記憶はない。難工事だったと思うけれど、それを際立たせるために無理が目立ち過ぎるのではないだろうか。
 そろそろ感動のノンフィクションドラマは終わりにしたほうがいいのではないのだろうか。

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2004/06/28

ナタネ油

 昨日、「キャノーラ」のことを書いていてナタネ油のことを思い出した。なんだか尻取りの感じになってきた。
 キャノーラはナタネの一つの品種だけれど、画期的な品種なのだ。ナタネ油には、エルシン酸とグルコシノレートという人に有害な成分が含まれているのだけれど、その両方の成分ができないように品種改良したものがキャノーラだ。日本でもエルシン酸を少なくした品種はあるが、グルコシノレートは取り除けていない。といってもナタネ油をコップで飲むひとはいないだろし、ドレッシングやテンプラで食べる量は問題になるほどでもないだろ。
 では、なぜ有害性分を含んだナタネ油が食用油として使われてきたのかということが疑問になる。ナタネ油は昔から照明用の灯油として使われてきて、食用にはゴマ、エゴマ、米などの油が使われてきたようだ。灯油というと、灯油ストーブの石油系の灯油を想像するだろう。でも、照明器具が行灯などの時にはナタネ油や魚油が使われていて、ランプが使われるようになって石油系の灯油が使われるようになり、さらに燃料として使われるようになったということだ。灯油は「灯芯油」の略ではないだろうか。閑話休題
 実はナタネ油は、戦前は重要な軍事物資として世界各地で大量に栽培されていて、備蓄されていた。それが、戦後に食用油が不足していたので大量に民間に放出されたのだろう。その結果、食用油として定着したのではないだろうか。また、ナタネの栽培は行われていたのだから、供給もできただろう。
 実際、戦後は、コロッケなどの揚げ物に豚の油のラードやウシの油のヘッドだけでなく、闇市では機械油も揚げ油に使われていたと聞いたことがあるほど、食用油脂が不足していたらしい。そういえば学校給食でバターの代用のマーガリンが出てきたが、これもナタネ油から作ったのだろう。そういえば、昭和30年代の子供の頃おふくろが「白絞油が手に入ったから、今日はテンプラにしよう」といっていたのを思い出した。
 ナタネ油は軍事物資として、何に使われていたかというと、ナタネ油の特長である「高温過熱に耐え、こしが強く劣化しにくい」という性質と関係がある。ナタネ油は大砲などの砲身の焼き入れに使われていたということである。兵器を大量に作ろうとするとナタネ油が大量に必要だったということだ。
 このように、無農薬、有機肥料で栽培したナタネか作った植物油だから絶対安全だということはいえないのかもしれない。

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2004/06/27

天然素材

 天然水のことを考えていたら、先日仲間と天然素材を使った食品について話していたことを思い出した。食品の宣伝文句に「天然の色素」、「自然の素材を生かした」、「植物性」といった言葉が使われているが、天然自然のものが安全・安心だといいたのだろう。
 でも、自然にあるものが安全だろうか。例えば、トリカブトに代表される植物毒は沢山あるし、魚介類にも毒があるものがある。
 特に、多くの植物は、虫や動物に食べられて子孫が残せないと困るので、毒やまずい味になるように進化してきた。野草のエグ味や苦味などはそれだろう。人は、食用にするために品種改良で、不快、有害な成分を取り除いてきた。今でも、ジャガイモの芽の周囲の紫色の部分は「ソラニン」という有毒成分を含んでいる。これは、ジャガイモがネズミに食べられないように自己防御するために進化したのだろう。
 食物アレルギーを引き起こすアレルゲンも動物に食べられないような対抗物質かもしれない。マクロに見ると、食物アレルギーのひどい人は死ぬことで、逆に選択されたのかもしれない。
 「植物性油脂」が「動物性油脂」に比較して肥満対策になるようなイメージがあるが、カロリーは違うかもしれないけれど、沢山食べると同じだろう。花王のエコナオイルは、原料はパーム油だが酵素反応で作られた食用油だし、キャノーラは遺伝子組み換えしたものもでてきた。
 「自然」、「天然」、「植物」といった食品はイメージだけで、全て安全という誤解は避けたほうがいい。少量だったら問題ないけれど、沢山食べると問題になる食品もあるし、加工してあるから問題があるということもない。もっと賢くなる必要がああるだろう。

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オイル交換

 三菱自動車のGDIエンジンは専用エンジンオイルを使わないとエンジンルームにカーボンが貯まるということをつい最近知った。聞いてないよ!車を買った時にはそんなことはいってなかったし、無料点検があったことも知らなかった。
 ということで、近くのディーラーに電話をかけてオイル交換を頼んで、値段を聞いたら、今点検サービスをしていて、点検をすればオイル交換はタダで、オイル交換だけだと有料だというので、もちろんただになる点検サービスを予約して、行ってきた。知らないということは、無駄なお金を使うということになるのだ。
 車を持っていって、営業所の中に入ると沢山人がいる。売れていないと聞いていたけれど、結構来店してるなと思ったら、皆点検の上がりを待っていた。そういえば、昨日はパジェロ、今朝もデリカが燃えているので該当車種に乗っているひとは気が気ではないだろう。それにしてもリコール隠しが表面化してから、車が良く燃えるというのが不思議だ。
 MacPowerを読んで待っていたら、アイスコーヒーのサービスがあった。点検を終わった夫婦が「本当に大丈夫」などといっていた。社員はもうあやまるばかり。可哀想だった。一時間ほどして、私の車が終わったといってきた女性が、「やはり何か心配ですか」と聞くから「専用のオイルが必要と聞いたので交換にきただけ」といったら拍子抜けしたような顔をしていた。ディーラーは何も知らなかったのだから、気の毒としかいいようがない。
 先週、発水ワックス洗車したばかりなのにまた洗ってくれたようだ。来週は軽自動車を持っていってオイル交換してもらうことにして帰ってきた。

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天然水?

 ふと気がついたのだが、最近のビールとか清涼飲料水に天然水を使っていることを売り物にしているものが多い。ということは、私たちが日常に使っている水道水は、天然水ではないということなのだろうか。天然水の反対は合成水ということになると思うが、浄水場では酸素と水素から水を作っていたりするのだろうか。
 合成水があって使われる場面があるとすれば、宇宙飛行士が宇宙船内で燃料電池から出てくる水を使って生活することくらいだろう。
 たぶん、天然水というのは原水をそのまま使っているという意味なのだろう。消費者は、「天然水」ということばのイメージだけで、全ての水が天然水であることに気がついていないのかもしれない。大都市をでは、沈殿や脱臭、塩素の添加などの処理された水を使っているけれど、地方では法令で決められた最低限の塩素だけを添加しただけの天然水を供給しているところがある。例えば、北海道の胆振支庁の喜茂別町の水道水は、羊蹄山の湧水をそのまま使っている。水道からミネラルウォーターが出ている。
 そうか、天然水の反対は合成水ではなくて、処理した水道水ということなのか。でも、飲料に使う水は天然水といえども塩素は使わないにしても殺菌しなければいけないはずで、汲み上げたそのままの水ではないだろう。
 もう一つ思い出した。スーパーで純水を売っていたり、純水を使った清涼飲料水が売られたりしている。天然の水ではあるけれど、強制的にミネラルなどの成分を取り除いた水というのをつかうというのはどういう意味があるのだろう。ミネラル成分がないということは、味も素っ気もないかわりに、いろいろな成分が良く溶けるということなのだろう。
 水を飲むのもいろいろと考えなければいけないというのは、あまり気分のいいものではない。

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2004/06/26

国産100%

 新聞に札幌の製粉業者が、「そば(国産100%)」と表示しながら、米国産のそば粉を三割も混入していたという記事がでていた。JAS法違反なのだが、混入を指示した専務の「品質に問題がないと判断した」という談話がふるっている。
 国産100%というのは品質をいっているのではなく、全て国産であるということが重要であって、米国産が国産よりも品質が良くても関係ないはずだ。米国産が国産と同じ品質か良いというのであれば、「米国産30%混合の高品質そば粉」と表示するのが正しいことになる。そこのところが理解できていないのが不思議だ。
 遵法精神のない会社は、これからは存在することができなくなることは、現在の三菱自動車の状況を見ればわかることだ。
 どうでもいいことだが、JASで「そば」と表示できるのは、きちんと成分表示することは必要だけれど、そば粉が30%入っていれば、残りが小麦粉でもいいのだ。

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2004/06/24

人生は小説よりも奇なり

 昔、子供の頃にNHKの番組で「私は誰でしょう」という番組があって、司会の高橋圭三さんが冒頭で「人生は小説よりも奇なり」といっていたのをふと思い出した。
 誰だったか忘れたけれど、小説家がラジオの番組で、「ひとはひとりひとりドラマを持っていて、それは小説よりも迫力がある。でも誰でもがそのドラマを表現できる技術を持っていない、表現の技術を持っている小説家が代表して書いている」といったことを話していた記憶がある。開高健さんが「ベトナム戦記」のあとがきの中に「この世には書かれ得ず、語られ得ずして消えてゆく物語がいかに多いかということを自分についてつくづく私はさとらされた。・・・」と書かれている。
 私のこれまでの人生を振り返ってみても、実にその通りだと思う。私の亡くなった父もシベリア抑留を経験していて、胡桃沢耕史さんの『黒パン俘虜記』のような話があったのだろけれど、子供達には断片しか残していない。多くの人が同じことを感じているのではないかと思う。よしんば、表現できる技術をもって何かに書いたとしても、多くの人の目に触れることはないだろう。
 でも、表現の技術が稚拙でも何かを残しておくことは大切だと思うようになってきた。

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2004/06/23

桃太郎の世界

 気がつかないうちに夏至が過ぎていた。台風で中国地方で桃が落果しているテレビの映像を見て思い出した。
 昔話の桃太郎に出てくるおじいさんが山に柴刈りに行くのだけれど、おじいさんは刈った柴を何につかったのだろうか。私がこれまで何人ものひとに柴の使い道を聞いたけれど、正確に答えることができたのは五人に満たなかった。
 多くのひとは薪に使うと答えている。絵本でもおじいさんは短く切った柴を背負っているのが普通のようだ。
 話しの内容を思い出すと、おばあさんが川で洗濯していると、大きな桃が流れてくるのだから、7月頃の風景だろう。夏の木の枝は、乾いていないので薪にするのは無理だ。では、柴とは何だろう。
 実は、葉のついたままの小枝を刈り取ってきて、それを水田の中に投げ入れて肥料にするのだ。地方によっては「刈り敷き」といったりする。それと、昔の水田は、湿田といって何時も水がある湿地で、泥が深い場所を使った。だから、人が中に入るとずぶずぶと膝までもぐってしまったり、腰までもぐったりすることもあった。
 そこで、投げ込んだ柴が足掛かりにもなったのだ。弥生の遺跡から田下駄という、水田で作業するための下駄が出土するが、田下駄は戦後まで湿田で実際に使われていたのだ。
 葉と木の皮が腐って肥料になった後、枝を取り出して乾かせて薪につかった。全く無駄がない。
 昔話もこのように読んでみると、昔の生活が見えてきて面白い。

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2004/06/22

カシオQV-10

 台風一過の良い天気で、気温がうなぎ上りとなった。台風が通り過ぎた地域では、強い風の被害がでている。特に、収穫間近の和歌山の梅、収穫が始まった山形のサクランボなどで、実が落ちるなどして、出荷できなくなっている。こちらでも梅の実が沢山道路に落ちていて、近所のおばさんが拾っていた。
 今日は、一日会議室に閉じ込められて、ひとりでエキサイトしていたので疲れた。
 火曜日の夜は、NHKの「プロジェクトX」とフジテレビの「はねるのトびら」が定例になっている。今晩の「プロジェクトX」は「男達の復活戦・デジタルカメラに賭ける」で、カシオのQV-10の開発物語だった。
 これは以前特集で扱ったもののリメークで見たことのある画像が多かったが、非常に面白かった。QV-10よりも前にデジタルカメラはあったが、コンパクトなボディに液晶表示を付けたという画期的な機能が爆発的なヒットにつながったのだ。
 パソコンの普及という時期を得たということもあるだろうけれど、QV-10がなければ、今のデジカメブームはなかっただろう。全てのデジカメがQV-10をベースにしたといっても言い過ぎではないだろう。私も直ぐに注文したが、2ヶ月待ちだった。画素数が少なかったけれど、色々工夫する余地があって、ずいぶん楽しめた。特に、ホームページ用の画像の撮影にちょうど良かった。
 今まで、中古を含めて10台くらいのデジカメを使ったが、その中で使っていて一番楽しかったと思う。ルーペや双眼鏡でマクロや超望遠の世界を手軽に楽しめた。QV-10は人に上げてしまったので、去年ヤフオクで1,500円でQV-10Aを手に入れて保存してある。
 「はねトび」の哲哉が「おとうさん、おとうさん」というコントは、今回も楽しかった。

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2004/06/21

梅雨どきの台風

 梅雨の最中のはずなのに、台風6号が九州、四国、本州を通り抜けた。この時期の台風は、日本にくることはなく、気圧の影響で大陸に向かうのが普通のはずだ。
 やはり地球環境の変化の影響なのだろうか。自然のバランスがどこかで狂ってきているのではないか。室戸岬で風速54m/sを記録したようだが、いつも自然の力は想像を越えてしまう。
 それにしても、台風で荒れた海を見に行って高波にさらわれた人がいるらしいが、危ないから近寄るなといわれなくても、普通は危険は予測されるはずで近寄らないと思う。野次馬根性が理性に勝ってしまう人が必ず数%はいるのだろう。
 このあたりは、風が吹き、雨が少しばかり強く降ったくらいで、ほとんど影響がないが、屋根が飛んだり、家屋が浸水したりと被災された人も多く出たのだろう。災害に対する供えは日頃からしているはずだけれど、いつもそれを越えて被害が出てしまう。
 台風のコースだけをみていると、夏にならずに秋風が立ち始めたりしたら、大変なことになるなどという馬鹿なことを考えずに寝るとしよう。

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2004/06/20

駆け足の旅

 金曜日の夜から夜行バスとフェリーを乗り継いで八戸−苫小牧トンボ帰りの旅にいってきた。午後11時10分東京駅発の盛岡行き夜行バスで盛岡駅まで行き、岩手の友達と合流して八戸フェリーターミナルへ直行。午前8時45分発のフェリーで一路、北海道の苫小牧に向かった。
 大平洋は凪で、縮緬のようなわずかな波の上を行く静かな航海だった。甲板で心地よい風に吹かれながら、洋上の海鳥を見ていた。オオミズナギドリ、クロアシアホウドリ、コアホウドリなどが波がないので飛ぶことができずに海の上に浮いていた。フェリーが近付くと飛び上がるのだけれど、水面を走りながらの不器用さは見ていて可笑しい。
 曇っていたけれど、途中から雨が降り始め、霧も出てきたので、見通しが悪かったが、アホウドリが見られなかった以外は満足な成績だった。それよりもイシイルカやカマイルカの群れにであったり、オットセイが愛嬌をふりまいたりしてくれたので7時間飽きることがなかった。途中、種類は判らないが鯨が水面に飛び上がって落ちる「ブリーチング」を三度も見ることができたのがハイライトになった。
 下北半島の先に沢山の風車発電機が回っているのが見えた。岩屋ウィンド ファームと呼ばれ33機の風車があるらしい。天気が良ければ写真を撮りたいのだが、双眼鏡で見えるのだが、デジカメには灰色の壁にしか写らない。
 苫小牧港に15時45分の定時に入港、フェリーターミナルでタクシーに乗って北海道大学苫小牧演習林にクマゲラをみにいった。日本最大のキツツキは長年見たいと思っていたのだが、普通は深い山の中にいるためなかなか見つけることができなかったのだけれど、演習林の駐車場脇の木に営巣していて、あっけなく見ることができた。時間があったので樹木園を回ってみた。
 草の上にシマリスが一匹いて、何か食べている。良く見るとミミズをしごいて泥を出しながら食べていた。見ていると木の実を頬袋に詰め込んで、生ものは食べてしまっているようだ。人をあまり恐れないようで、近付いてコンパクトデジカメで記念写真を撮らせてもらった。駐車場に戻るとエゾリスがいた。お腹の大きなお母さんのようで、お乳が大きくなっていた。
 呼んでもいないのに往路に使ったタクシーが迎えに来た。不景気でお客さんが少ないようだ。タクシーでフェリーターミナルに戻り夕食。ホタテの照焼き丼を食べた。半生のホタテがプリプリしていて、御飯も適量で非常に満足した。
 午後9時15分発のフェリーに乗り、風呂に入り満足と共に就寝。横になったとたんに熟睡したようで、午前3時半まで夢も見なかった。午前4時15分八戸港着、外は雨だった。友人の車で、むつの仏沼でオオセッカ、オオジュリンなどを見る。オオセッカは茨城の浮島にもいるが、個体数が非常に多い。だんだん雨が強くなってきたので、奥入瀬渓流を通って盛岡に戻る。
 昼食に、名物の「じゃじゃめん」を食べて、「はやて」で2時間半で東京。八戸からは3時間半だから、岩手、青森は近くなったものだ。昔、八戸にいった時は何時間かかったのだろうか、一日かかったような気がする。車中1泊、船中1泊の旅が終わった。

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2004/06/18

何もない一日

 昨日の講演が終わり、お葬式も段取りよくいったようでホッと一息ついた。
 午前中は、溜ったメールを始末して、新聞をチェックして、決裁印をいくつか押して、電話を数件受けと特に何もない一日だった。
 やる気の無くなるような筋の悪い話が一件あったが、これは月曜日にということにした。
 午後からは、是非といわれていた電設資材の工場を見学にいった。工場といっても、ほとんど自動化していて、人が見えない。勝手に物ができていく風景は異様な感じがする。これでは、製造業では失業者がでるはずだ。三次産業の仕事はあるけれど、適性のないひとはどうすればいいのだろうと思ってしまった。
 今日はこれか東京に出て、夜行バスで八戸までいって、フェリーで北海道とんぼ返りの旅にでるつもりだ。東北方面はあまり天気が良くないようなので、海上はどうなのだろう。最近、船酔いするので、ちょっと不安。

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2004/06/17

久しぶりの講演

 今日は午後から東京で自然エネルギーのことで話をしてきた。実に数年ぶりで、準備も万全ではなかったが、何度も話ししたことのある内容だったので、なんとか無難に終わらせることができた。
 持ち時間40分ということだったが、時計を見ずに1、2分のオーバーだった。我ながら時間については満足だった。
 久し振りなので余裕がないかと思ったが、冗談もいえたので満足だった。結構いけるみたい。
 

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2004/06/16

建築は何のため

 今日は同僚の奥さんのお通夜で、つくばセレモニーホールというところにいってきた。斎場を使ったことがない設計屋が図面を描いたのがすぐに判る。斎場はただの集会場ではないはずだ。トイレの大きな音のするハンドドライヤー、エントランスの薄暗い照明、狭い会場と無駄な屋外の広場など、目的を考えない配慮のなさはどうだろう。
 第26回建築作品コンクール・関東甲信越部門 の「優秀賞」になっているようだが、建築はアートではなく、中でひとが目的をもって活動する場所だろう。設計者は実際に葬儀を営んでみるといい。遺族、会葬者、会場係、葬儀社など一通り経験してみるがいい。

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2004/06/15

千の風になった

 今日正午頃、職場の同僚の奥さんが亡くなった。まだ四十代半ばだった。同僚は気丈に振る舞っているが、悲しいのは本人だろう。彼を見ているだけで、胸が一杯だ。でもそれは同情で、共感ではないような気がする。
 喜びは分かち合えるけれど、悲しみは分かち合うことはできないと常日頃思っている。悲しみや苦しみは当事者にしか判らないことだ。同じような体験をしたとしても、悲しみはひとりひとり違うと思う。
 だから葬式は儀式として事務的に済ませてしまうのがいい。それで社会との関係は終わりにして、家族でゆっくりと千の風になったひととふれあう時間を持てるようにするのが一番だろうと思っている。家族にとって亡くなったひとは、死んでなんかいないで、いつも皆のそばにいるのだから。

ajisai.jpg

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2004/06/14

バンダルガン国立公園

 昨日のTBSの「世界遺産」でモーリタニアのバンダルガン国立公園を放送していた。サハラ砂漠が大量の土を大西洋に流し込んで遠浅の海岸を作り出した場所に、100万羽を越すような野鳥が集まってくる様子が壮観だった。
 干潟の生物を餌に色々な海鳥やシギ・チドリなどが集まっている。モモイロペリカンはコローニーを作って繁殖している。多くの鳥は、ヨーロッパ北部やシベリアから越冬するために集まってくるのだろう。
 大西洋側の鳥は、極東の鳥と違うので、判らない鳥も多かった。オニアジサシやヘラサギのように一度見たことのある鳥は判るのが楽しい。
 サハラは昔は草原だったようで、何かの切っ掛けで砂漠が広がり、今では世界最大の砂漠になり、まだその範囲を広げている。私たちは「砂漠」を鳥取砂丘のような砂ばかりの土地が広がっているようなイメージしかない。でも「砂漠」はもともとは「沙漠」と書いたのが、当用漢字に「沙」が含まれなくなったため、「砂」を宛てたために誤解が生まれたのだろう。
 「沙漠」は水が少ない場所ということだから、土や岩の沙漠が本当なのだろう。土が流れ出して海に入ると、泥の干潟になるし、土の栄養分が植物プランクトンを育てることになる。
 植物プランクトンが水性生物の餌になり、水性生物が魚や鳥の餌になるという食物連鎖がつながっていくことになる。それにしても生産される生物量は膨大な量になるだろう。沙漠に水があれば緑のサハラが可能になるだろうが、それは夢物語にしかならない。

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誰だタカの食事を邪魔したのは!

Grey_Starling.jpg

 昨日の夜は混雑で「ここログ」につながらなくて諦めて寝てしまった。
 早朝、散歩していたら、ムクドリの頭がない死体が落ちていた。羽の散乱具合と首の切断面からタカかフクロウの仕業のようだ。食事をしようとしていたところに人が通ったので、ごちそうを置いていったのだろう。
 ここ数年、散歩コースでハトやツグミの死体や、羽根の固まりを見ることがある。たぶん、小型のタカの「ツミ」のようだ。
 ツミは、キジバトくらいの大きさだけれど、自分と同じくらいの大きさの鳥を狩る。街の中の公園で目撃情報が多いので、想像以上に街の鳥になっているのかもしれない。

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2004/06/12

パラサイト・シングルから

 パラサイト・シングルがGDPを下げるという報告を第一生命経済研究所が出している。パラサイト達は、住宅ローンや家賃の負担がないので消費性向が高いため、マクロの実質個人消費は高いはずだけれど、住宅投資に参加しないのでGDPを押し下げるというのだ。でも、無駄な住宅が建たないだけいいのではないだろうか。
 今の住宅は一代だけの消耗品になっていて、都会は使い捨てされたり、されつつある住宅が同心円状に広がっているのが現状だ。新興住宅地は、若い家族が増えて学校はキャパシティーを越えてプレハブ校舎ができたりするが、それも一定の時間が経つと、子供は急速に減り学校の統廃合となり、老人ばかりの街ができてしまう。世代交代のない街を作ることが、現在の住宅政策だろう。
 机上の空論では社会が持続することはない。都市も街も生きて続かなければ社会は崩壊するだろう。賢人養老先生のいう脳化の進行だ。
 持続的発展とかいうけれど、都市は外部からの入力なしには自立できない。やはり社会を賢人宇沢先生のいう農的にしていかなければ社会は持続できないだろう。

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人口減少は続く

 厚生労働省から出生率の発表があった、1.29と戦後最低になったということだ。東京に至っては0.9987と1を切ってしまった。
 日本の社会が子供を育てにくい環境を作っておいて、出生率をあげようとするのはどだい無理な話だ。今の状況で子供を生んで育てるのは、教育も考えると、非常にコストがかかるようになっている。児童手当は昔に比べ高くなったが、支給年限が短縮されてしまっていて、子供を沢山生むためのインセンティブにはなっていない。2子以上の子供がいる場合には、授業料の低減措置とか、奨学金をだすとかとうこともない。
 もし、出生率を上げようとするなら、母親が安心して働くことのできる保育施設、経済的な支援など社会全体で取り組まなければならないだろう。現在は、子沢山は自己責任というのであれば、できるだけ子供を少なくするか、生まないという選択になるだろう。
 東京は、中心部の住宅地が古いままに残り、地価が高いために子育てする人達が住める状況にないから、子供が増えるわけもない。都心の小学校は統合しなければならないほどだ。都内の学校は、子供が減って廃校になった時には、老人ホームにできる設計になっていると聞いたことがあるが、行政は少子化を折り込み済みのようだ。
 さらに、サラリーマンが大勢を占める社会となって、親の仕事や田畑を継ぐといったこともないから、跡継ぎの必要もない。また、社会の平準化が進んでいるので、家名を継ぐなどといったことにこだわる人はどんどん少なくなっているだろう。だから、無理して子供を生んで育てることもないだろう。結婚年齢の高齢化や非婚率の増大も出生率の低下に影響があるだろう。
 持続的な社会を目指すのであれば、人口は現在のレベルでは多すぎるので、日本の国土を考えるのであれば徐々に減って6千万人位になるのが良いのだろう。高齢化社会も、エネルギーや資源が十分に使えるから維持されているだけで、何かが不足する事態が起れば直ぐに状況は変わるだろう。
 

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2004/06/10

疲れる一日

 今週も東京に出ることになった。短い時間の会議でも往復の時間を考えても一日掛りになってしまうので、非常に疲れる。
 上野から会場まで山手線で神田までいって中央線快速で新宿にいった。田舎者だから前回は東京まで行ってしまった。途中の電車の中で週刊誌の中吊り広告を見ていると、センセイショナルな文句が踊っている。タイトルを見ただけで、買わなくてもだいたい内容が想像できてしまう。何度も騙されていると、少しは利口になるものだ。
 黙って静観していたほうが良いものまで、根掘り、葉掘りほじくり出し、煽るのはやめたほうがいいと思う。それよりも「会社も色々総理」とか「運転手給料肩代わり官房長官」の話をしっかりほじくってほしいものだ。週刊誌にすれば売れればいいのだろうけれど、どうも弱いものや反論できないものを狙い撃ちにするのはやめたがいい。
 地村さんの息子の喫煙問題も、社会体制の違う国から来たのだから、郷に入っては郷に従うことになるのだから、騒ぐことでもないだろう。青少年の喫煙問題だったら、もっと問題になっていることがあるだろう。
 帰りに、携帯電話のカメラのテストで自動車を写したら、ビローンと伸びてしまった。デジカメブームの引き金になったカシオのQV-10よりも画質は悪い。おもちゃデジカメのレベルだ。携帯のカメラはほとんど使うことがないのだけれど、面白写真を撮るのにいいかもしれない。

carlong1.jpg

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2004/06/09

聖火は?

 アテネで採火された聖火が、世界をリレーしている。昨日東京から2008年のオリンピック開催予定地の北京に移動して、今日北京市内を駆け抜けた。
 そのニュースを見てふと気になった。それは、いま移動中の聖火は、採火された時と同じ火なのだろうかということだ。
 採火の時点の火は、間違い無くアテネの太陽熱を集めて着火したものに違いない。でもそれが聖火容器に移され、容器の中で燃え続けているわけだが、最初の火と同じなのだろうか。だんだん考えて行くうちに、春日三球・照代の漫才ではないが「地下鉄をどこから入れたかを考えると寝られない」感じになっってきた。
 本当は聖火はオリンピックの象徴だから、消えずに存在することが重要で、同じだろうと同じでなかろうとどうでもいいのだろうけれども、厳密に考えるとどうなんだろう。
 今晩寝られるだろうかというのは、ウソで、多分、布団に入ったら、一瞬で寝てしまうのだろう。

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2004/06/08

梅雨に歌えば

 梅雨入り四日目で、降ったり止んだり。先週見た麦畑の刈り取りが終わっただろうか。麦は穂が濡れると発芽してしまうことがあるので、刈り入れのタイミングが難しい。
 今日は一日中会議室に閉じ込められていたので、天気は関係ないけれど、こちらの方がうっとうしいこと限り無い。きめる気がない議論は疲れる。
 夕方から涼しい風が吹いてきて、窓を開けていると寒くなってきた。ちょっと遅いと道が空いていて、暗いけれど比較的早めに自宅に着いた。
 尊敬する人生の大先輩のすずの・としさんから本が届いていた。短い物語集「万華鏡」という短編集だ。去年から一生懸命自費で本を出されて知り合いに届けてくれている。今年に入ってから四冊目だ。すずの・としさんは童話のピンケロシリーズをPHPから出していて、娘達が小さい頃に一生懸命読んでいた。大先輩は古希を過ぎても好奇心旺盛で、三月に札幌で会った時にも四時間近く話をしてしまった。
 それにしても、読まなければいけない本がどんどん増えてくるのに読めない。老眼で見え方が安定しないのがくやしい。それに、年を取るほど時間が短く感じるようになるというが、一日が短くて、何もできないうちに寝る時間になっている。早く寝たいのだけれど、今日は中日-巨人が延長で「ハネトビ」が30分遅くなってしまったので、こまったことだ。

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2004/06/07

苦言をいわれる幸せ

 だんだん年をとってくると、間違ったことで苦情をいわれることはあっても、大事なところで苦言を呈してくれる人がいなくなる。私にはこれまで何人かの先輩が、節目、節目で教育的指導をしてくれている。本当に幸せなことだと思っている。
 私のように窓際だと関係ないのだけれど、偉い人を見ていると、時々可哀想だと思うことがある。大事なところで苦言を呈してくれなくなることだ。特に、勘違いして自分で偉いと思い込んでいる人ほど、回りはちやほやしてくれるし、はいごもっともとしかいってくれないので、孤独だ。ポストと人物がバランスが取れていないということが悲劇を生むことになる。つい偉くなると、回りが見えなくなるものなのだろうか。
 いつまで経っても、自分の勘違い正してくれる先輩や仲間がいてほしいものだ。
 

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2004/06/06

死の壁

 賢人養老の「死の壁」を読了した。「バカの壁」と同じように聞き書きをまとめたもので、内容としてはこれまで色々なところに書いたものと重複があるが、死について整理したものだ。
 若い時には、未来永劫生きていられるような錯覚に囚われているけれど、そんな若者が読んで考えてほしいと思う。
 私は親が早く亡くなっているので、はっきりと死を意識するようになった。大きな病気は無いはずなのだけれど、毎日寝る前に明日朝に目がさめるだろうかと思うのが日課になっている。その割には身辺整理はできていないというのが、まだまだのようだ。
 賢人養老は解剖学者なので、非常に真面目に死について考えていると思う。一人称の死、二人称の死、三人称の死という分類は考えたことがなかったけれど、すごい。自分の死である一人称の死は、自分でわからないから存在しないというのも、普通は考えられない。自分の死は認識できないから、客観化できないから「無い」とうことだ。
 死を外部化することで、現代の社会の問題の根源があるのかもしれない。

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2004/06/05

私たちに明後日はあるのか

 今日から上映開始となった「The day after tomorrow」を近くのシネコンに見にいった。地球の温暖化が、極の氷を溶かし、その淡水が、海流の流れを変え、大規模な気象変化によって北半球が氷河になるという舞台設定に、父が氷に覆われたニューヨークに子供を救いに行くという英雄物語になっている。
 気候変動を訴える主人公の意見を、経済問題を盾に無視しようとする副大統領は、昨日のプランBを実現させる困難さを象徴していた。
 最後にアメリカの大部分が氷に覆われメキシコに難民となって流れ込んだアメリカ人と世界に向けて、大統領の演説で「石油エネルギーを使い放題にして大丈夫だと思っていたけれども間違いだった」といわせることで地球環境問題への警鐘としているようだ。
 大スペクタクルで非常に興味深い内容なのだが、作りがちょっと雑なところや、手抜きのところもあった。東京の中国風の提灯の焼き鳥の屋台からでたサラリーマンの上に大きなクラッシュアイス状の雹は降ってくる場面があったが、雹は丸く半透明のはずだから気味悪かった。氷点下で自由の女神に樹氷が着いているのに、平気で素手で鉄の手すりに掴まって移動するというようのは無しだと思う。低温の金属に素手で触れると、手が金属に張り付いてしまい、無理に剥がすと手の皮がはがれてしまうだろう。たぶんもっと細かな突っ込みがでるだろう。
 実際のところ、地球環境はのっぴきのならないところまで来ているのだけれど、経済優先の社会を守るために各国政府は根本的な対策を取ろうとしないというのが現状だ。どうしたらいいのだろう。

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2004/06/04

人生色々

 小泉首相の「人生いろいろ、会社も色々、社員も色々」発言に、時間が経つに連れてだんだん腹が立ってきた。良く考えなくても、厚生年金詐欺だろう。もし、一般人が同じことをした時はどんなことが起るかは、火を見るよりも明らかだろう。国の制度の根幹が揺らぐような内容なのに国会での答弁としては、国民を愚弄しているといってもいいのではないか。
 それよりも、企業がなんの見返りも無しに何年間も働かずに給料を出すものか。議員に当選した暁には、払った給料の何倍ものお礼を、それも自腹ではなく国民の税金から払う段取りになっていたのではないだろうか。マスコミもあっというまに静かになったのは、何か裏があるのだろうか。
 細田官房長官の運転手の給与肩代わり問題にしても、政治資金規制法違反で犯罪だろう。あれだけの便宜を受けて、知らなかったで済まされる問題ではないだろう。マスコミは何故追求しないのだろうか。
 色々な議員が、不正な政治献金を「知らなかったので返した」というのもおかしい。何年間も貰ったままにしていたのだろう。問題にならなければ、知らぬ顔の半兵衛を決め込むつもりだったのだろう。
 小泉内閣は、問題が多すぎるのではないだろうか。というか自民党の体質ということだろう。

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プランB

 今日は東京大学農学部で「プランBをめぐる科学的討論会」というのがあったので、潜り込ませてもらった。
 アースポリシー研究所長のレスターブラウンさんの講演とパネルディスカッションだ。ブラウンさんは北京からの帰路ということだ。
 地下水位の低下と気温の上昇による穀物生産の減少、中国の穀物備蓄の取り崩し、食糧輸入量の増加による価格上昇などが、低所得国の政情不安につながりプランAは役立たなくなった。新しいロードマップのプランBが必要だという内容だった。エネルギーに関しては、ブラウンさんは風力発電にずいぶんと希望を持っているようだった。
 プランBは、水に生産性をあげる、人口の抑制、気候変動の緩和の大きな3本の柱ということで、京都議定書を大きくこえる二酸化炭素レベルを半分にするという大胆なものだ。問題はだれがプランBのかじ取りをするかということになる。
 これまでも地球環境問題についてはいろいろと解決方法が示され、この30年常に同じ議論がされているが、何もできていない。どうすればいいのだろう。
 パネラーはもっともな話をしていたが、バイオマスのおじさんが、バイオマスは無限にあるという楽観論を披露していたが、笑止千万だ。日本の森林全部を燃料にしても現在日本が使っているエネルギーをわずかに越える程度だから、それほどのものではない。
 自然資源の使い過ぎを止めるのが一番の解決策だろう。それにはアメリカが怒るだろうけれど市場経済の国際化を大幅に抑制するしかないだろう。
 帰りにレスターブラウン氏の著書「プランB」にサインを貰って帰ってきた。

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2004/06/03

何もない一日

 それなりに仕事はしているのだけれど、一日特にこれといったイベントもなく終わった。
 腰の調子が悪いので、牽引してもらおうと思って病院にいったら、木曜日で休みだった。分かっているはずなのに!!!
 仕方がないので、古本屋と100均に寄った。最近、100均には時計用の電池が置いてある。かみさんの時計が止まったので、電池を探したが、品切れ。どうもついていない。
 古本屋で100円棚で西原理恵子の「怒濤の虫」があったので、これはラッキー。西原の本は結構人気があるようで、100円棚に来るようなボロの本でも半額になっている。100円棚でニュータイプの古本屋のバカ兄ちゃんには判らないすごい本を見つけるのが楽しみだ。
 一度、楠田枝里子 の「消しゴム図鑑」を100円棚で6冊見つけて買い占めた時は非常に気分がよかった。絶版でヤフオクでも定価以上になることがあるのに、知らないことはいいことだ。
 ホームレスで100円棚を巡って背取りで暮らしているひとがいると聞いたことがあるが、いけるかもしれない。アマゾンやヤフオクで良い値の本を探せばもっと効率がいかもしれない。失業したら真面目に考えてみよう。
 今日行った古本屋は、食玩やおもちゃも扱っているので、レトログリコのミシンを買ってきた。
 明日は何か面白いことがないだろうか。

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日本の森林

 図書館に「アトラスー日本列島の環境変化」を探しにいった。日本の土地利用変化を見たいとおもったからで、本当は北海道教育大学旭川校の氷見山先生の論文を見ることができればいいのだが、論文を探すのは難しそうなので、図書館ということになった。
 この地図は、江戸末期、明治大正、昭和末の日本の土地利用を地図にしたものだ。地図を見てみると、江戸時代は地域によっては、薪炭の利用で禿げ山が広がっている場所も多かった。特に、島根県はたたら製鉄のために、砂鉄を取るために山を崩し、炭を作るために木を切り倒したために禿げ山が広がっていた。白砂青松は、荒廃した海岸の風景だったのだろう。
 アニメ「もののけ姫」にたたら製鉄のために森林を切ることが、古くからの地の神と衝突する原因になってる。今バイオマスが新エネルギーとして注目されているが、今使っているエネルギーを10%くらい代替しようとすると、森林がなくなってしまう。木は成長に時間がかかるので、簡単に補給が利かない。
 今は日本の森林率は世界の中でもトップクラスではないだろうか。建築用材は海外からだし、消費量の少なくなった薪炭も輸入ということで、国内の森林は伐採されなくなったからだろう。イギリス、ドイツ、オランダの森林の少なさは驚くほどで、中でも森林の多いフランスでさえ25、6%くらいだろう。東南アジアもタイが25%くらいになってしまったのではないだろうか。
 こんなことを考えるためにアトラスを借りたわけではないので、真面目に地図をみなければ。

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2004/06/01

下妻物語

 1,000円で映画が見られるファーストデーだったので、近くのシネコンで「下妻物語」を見に行ってきた。茨城(いばらき)に住んでいるのに、下妻と聞いたら行かないわけにはいかないっぺ。
 深キョンはいい芝居している。あのぽちゃっとした、ぼけっとした雰囲気がなんともいえない空気を醸し出している。土屋アンナがヤンキーねーちゃんを怪演していた。ロリータとヤンキーの組み合わせが不思議にあうのはなぜだろう。
 茨城名物暴走族と牛久大仏、ジャスコなど見知った風景が、なお一層可笑しさを増幅している。大声で笑いたかったが、自重、自重。
 劇場内は若い人で一杯だったので、ちょっと浮き気味だったが、見に行って良かった。日本映画は金をかけずに安くても、作り方次第で面白い映画にできるということだ。
 真壁町が「ヤンキー母校に帰る」の撮影場所になったり、伊奈町で大河ドラマが撮られたりと、茨城県は映画やテレビの撮影に積極的に協力しているようだ。私の街も、テレビの戦隊ものの撮影現場になっているらしい。チャンスがあれば、エキストラにでも挑戦してみようか。

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