苦言をいわれる幸せ
だんだん年をとってくると、間違ったことで苦情をいわれることはあっても、大事なところで苦言を呈してくれる人がいなくなる。私にはこれまで何人かの先輩が、節目、節目で教育的指導をしてくれている。本当に幸せなことだと思っている。
私のように窓際だと関係ないのだけれど、偉い人を見ていると、時々可哀想だと思うことがある。大事なところで苦言を呈してくれなくなることだ。特に、勘違いして自分で偉いと思い込んでいる人ほど、回りはちやほやしてくれるし、はいごもっともとしかいってくれないので、孤独だ。ポストと人物がバランスが取れていないということが悲劇を生むことになる。つい偉くなると、回りが見えなくなるものなのだろうか。
いつまで経っても、自分の勘違い正してくれる先輩や仲間がいてほしいものだ。
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