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2004/07/14

北海道開拓と道産子

 今日も気温は高いけれど乾燥していて日陰に入ると心地よい一日だった。久しぶりに友人と昼食会。焼肉と冷麺のセットを食べる。暑さに滅法強いので、夏でも食欲が全く落ちない。腰痛のためにダイエット中なのだが、つい食べてしまう。なかなか目標体重にとどかない。
 韓国冷麺は、麺にそば粉が入って茶色いのだが、今日食べたのは盛岡風冷麺で透明な麺だった。冷たくて汗をかいたどんぶりに入った透明なスープとゴムのような食感の麺の組み合わせは絶妙だ。前回、盛岡にいった時には一泊二日で三食も冷麺を食べてしまった。沖縄では沖縄そばを、長崎ではチャンポンと皿うどん、香川では讃岐うどんと行く先々でほぼ毎食麺を食べてしまう麺食いだから、今日も胃袋が大喜びだった。
 食事をしながら、昨日高校の同級生から道産子のルーツについて尋ねてきたメールの話をする。同級生は仕事場で「昔、北海道に渡ったのは本州にいられないわけのある人か犯罪者だ」といわれてショックだったようだ。確かに、北海道の開拓に入った多くの人達は、官吏や技術者を除くと、一獲千金や大地主になる夢を抱いた人々が多かったのではと思う。それは、いつの時代にも、世界中どこでもフロンティアに向かう者の共通した特性だろう。
 私も北海道開拓四代目なので、昔ルーツを探そうとしたが、開拓に入った初代の前が判らなかった。色々と調べた結果、開拓農民を多く輩出する地域が浮き上がってきた。県でいえば、新潟、富山、長野、山梨、岐阜、和歌山、岡山、広島、島根、鳥取、四国四県といったところだ。共通するのは中山間地が多く土地が狭い地域だ。新潟は湿地帯で土地は狭かった。
 このような地域では農家の次三男は、土地を持つことはできず、外に働きに出るか、一生手伝いを続けるといった状況にあったのだろう。例えば、富山の薬売りは、江戸時代に農家の次三男対策として作り出されたし、新潟からは江戸の米搗き、風呂屋の下働きとして働きにでるものが多かった。明治になって、ハワイ、カリフォルニア移民した人達の出身地は、先にあげた地域が多い。
 そこに北海道に行けば、自分で開拓した土地は自分のものになるというのだから、小作や貧しい農家の次三男はこぞってフロンティアに向けて出発したのだろう。実際我が祖先は、富山をでて見渡す限り栗の木が茂る森に挑戦して自分の農地を得ている。でも、出身地とのつながりは地区の名前だけで、それ以外は全く途絶えてしまっている。そういった意味で、出身地にいられなかったか出てこざるを得なかったということになるだろう。
 道産子は北海道が父祖の土地で、それ以外に戻る場所はないのかもしれない。

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