寒別小中学校
皆で朝食を食べて、次回の再会を約束して別れる。半分はゴルフに燃えるらしい。私は友人に付き合ってもらって、子供の頃の想い出の地へ出発した。
札幌から定山渓方面へ向かい、中山峠を越えて京極町へ、羊蹄山の伏流水が吹き出している「ふきだし公園」でひと休み。一年中6.5度の冷たいミネラルウォーターが勢い良く吹き出している。沢山の人がポリタンクやPETボトルに水を詰めて運んでいた。この水は京極町の水道水になっていて、街の人は毎日この水が水栓をひねると吹き出してくるということになる。昔の胆振線の京極駅構内の水道が、この吹き出しの水というのは有名だった。
ふきだし公園を後に、目的の倶知安町寒別に向かう。確か国道沿いに目的の場所があったはずで、遠い記憶を頼りに窓の外をみる。胆振線が廃線になってしまって寒別駅がないので、目標がない。
ありました。寒別小中学校の校舎が白樺の木の向こうに建っていました。今は陶芸家が住んでいるようです。綿羊もいるので、毛織り物も作っているのかも知れません。
小学校三、四年生の頃、夏休みになると二歳下の弟を連れて寒別小学校の先生をしていた叔父のところに遊びに行ったものだった。札幌から列車に乗って、倶知安に行き、そこから胆振線で寒別という大旅行を二人でドキドキしながらいったものだ。尻別川沿いの開拓地だった。そこで短い夏を地元の子供達と魚釣りや虫取りで過ごしたことが、強い記憶として残っている。
尻別川で毎日ウグイを釣っていた。釣った魚は叔母さんが焼き干しにして保存していた。魚影は濃く、小学生でも一人で数十匹も釣ることができた。一度、夜釣りにいって釣り上げたウグイにイトウが食い付いたことがある。30cmくらいのイトウで、時間をかけて釣り上げることができた。のどが乾くと川の水を飲んで、畑のキュウリやトマトを失敬してかぶりついた。子供にとっては黄金の日々だった。
校舎は当時のままのようだけれど、記憶では体育館を挟んで右が中学校、左が小学校だと思っていたが、体育館の右側は道になっていた。記憶違いだろうか。学校の左側にあった叔父さんが住んでいた教員公舎は無くなっていて、公園になっていた。学校は昭和54年に中学校が、昭和59年に小学校が廃校になっている。
一度行きたいと思いながら何十年も経ってしまった。実際は、仕事で何度も通っているけれど、その時には余裕がなかった。今回は友人が時間を作ってくれたので夢が実現した。学校の回りをぐるりと回り、昔魚を釣った川の近くまで行ってみた。道も鋪装されて、水田も綺麗に整備されていた。短い時間だったが、想い出を確認することができた。
その後、昼食時間になったので、倶知安に行くと駅前のメインストリートは「じゃが祭り」ということで、通行止めで歩行者天国になっていた。色々なイベントがあるようだが、人出を見る限り、過疎が進んでいるようだ。駅前のそば屋でザル蕎麦を食べた。
帰りは、共和町、余市、小樽を経由して札幌に戻った。途中の海水浴場は大いに賑わっていた。小樽の街は観光客が沢山きているのだろう。大型バスが駐車場に溢れていた。
夜は札幌の学校に行っている娘の誕生日パーティーを兼ねてジンギスカンを食べに行く。というよりも私が久し振りにジンギスカンを食べたかったということだ。やはり生ラムは旨い。学生時代は一人500gくらいは平気で食べていたけれど、今は150gくらいで十分満足できる。汗をかいたのでビールも旨い。アイスクリームが食べ放題というので、甘党の私はうれしいけれど、我慢我慢で一皿にしておく。
独身の頃、出張で札幌にきて後輩の学生を連れて食べ飲み放題でジンギスカンを食べに行った時に、一人で肉を15人前、ビール大ジョッキーを12杯飲んだのがいた。今はそんな学生はいないような気がする。
それにしても札幌にきた時にはいつも余裕がなく時間に追われているけれど、今回はゆっくりできた。
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