川崎和男は戦った
腰の調子もさらに良くなったので、散歩を再開した。途中の道で泥が流れ出していたり、排水溝に落ち葉が詰っていたりと、昨日の雷雨の強い雨の跡が残っていた。
今年は夏の天気が良かったので、ドングリも豊作のようだ。街路樹の栗の木の下にイガが沢山落ちていた。でも中の栗は持ち去られているようで、空のイガばかりだった。道の隅に取り残しのイガが一個だけあった。
昨日、本屋が届けてくれたMacPower誌に川崎和男さんが、2年後に開学の札幌市立大学学長を辞退した顛末を書いていた。私は、てっきり札幌市立大学というのが新設校かと思っていて、札幌市も中々やるもんだと思っていた。でも、実際は既存の札幌高等専門学校と高等看護学校を合併して、時流に乗って大学に変身させるという他の地方公共団体と同じ話だったのだ。そうなると職員組合との関係から現在の教員をそのままスライドさせるのを市側は前提に考えているのは明白だろう。
ところが、川崎氏は、新しい構想の大学を作るのであれば、新しい革袋には新しい酒ということで、教員を全て公募で採用することを考えていたので、市側と衝突したということだ。高等専門学校と高等看護学校を一緒にして看板を変えるだけにしておいて、人寄せパンだに川崎氏を起用しようと虫の良いことを考えていたとすれば、札幌市は大いに間違っていたということだ。
札幌市は、川崎氏が学長という餌に食らい付いたと思って、名誉欲をくすぐればコントロールできると思ったのかも知れない。札幌市は、戦うデザイナー川崎和男の恐ろしさを理解していなかったのだ。川崎氏は本気で、工学と医療をコラボレーションさせた理想の大学を作る気でいたのだ。それもブルドーザーのようにだ。
札幌市は文部科学省向けのお飾りのつもりが、思惑通りに行かなかったということになる。川崎氏は教員の雇用対策は考えていたけれど、札幌市の思惑を読み切れていないところは失敗だったようだ。ユニークな大学ができなかったのは非常に残念だった。これで、特徴の無い、二つの学校のもろもろを引きずった大学ができてしまうのだろう。これから少子化で大学の定員が高校卒業生全員が入れるくらいになるのに、特徴のない大学を作るというのは自殺行為だと思うがどうだろう。
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