富士通の崩壊
昼休みに散歩していたら松の木の下に雄花が沢山落ちていた。こんな季節に松が開花したのだろうか。雄花を指で潰すと花粉がでてきた。松の花粉は粒子が大きいので、指の上でザラザラとした感じがする。花粉症には関係ないだろう。夏の猛暑と、このところの天候不順が引き金になったのだろうか。
ちょっと前に話題になっていた城繁幸さんの『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』を読み終えた。いやー、実に読み難い本だった。内容以前に「・・印象impressionにしたがって差differenceをつけた」とか「・・管理職middle managementに、公平fairで有能capableな・・」といった風に至る所に単語の後ろに英語がついていて、気になって内容に集中できなかった。なんでこんな風な書き方をするのだろうか。
内容は、日本の大企業として成果主義を取り込んで時代の寵児となった富士通の失敗までの軌跡で、それを書いたのが、内部のそれも人事部門にいた人間というのが話題性がある。一種の内部告発になるだろう。富士通という会社が、やはり大企業病に侵された典型的な会社というのが良く判る。会社という組織のために社員がいて、顧客のためではないというなんと内向きの社会になってしまっている。こんな会社が成果主義を導入したら、評価をすることが目的化することは明白だろう。成果主義は必要だと思うが、評価のシステムが公平でかつ透明でなければ意味をなさない。
評価基準がいいかげんなままにリストラを目的とした評価を、評価されたことのない者がするという無責任体制、職場が崩壊して行く様子が赤裸々に語られている。自殺者がでて、優秀な人材が職場を捨てて去っていくのは、ごくあたりまえだろう。無能でも降格がなく現状が維持される管理職と、赤字を垂れ流しても平気だった幹部の無能さは測りしれない。
私の職場にこの本の著者と同期でやはり、富士通をスピンアウトしたのがいるが、彼の話だと現場は本でにあるよりももっと酷かったようだ。
組織が大きくなって寄らば大樹になった時に、組織の停滞と崩壊が起るのだろう。組織のために組織が存在するということになり、組織の存在自体が目的になり、本来の目的が達成されなくなる。そんな組織は無くなってもしかたがない。
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