今日は寒い。散歩に出る時に毛糸の帽子を冠ってしまった。なにせ頭髪が寂しくなってきたので、帽子がないと寒さが直撃する。
毎週、木曜日というのは朝刊を開くと気分が悪い。週刊誌の広告が一番出る日で、これでもかこれでもかと性悪説の情報の垂れ流しだ。それなりに売れているということは、人の不幸や、事件の裏話を知りたい人が沢山いるということになる。病院の待ち合い室に置いてある週刊誌を時間潰しで読むことはあるが、買ってまで読む気はしない。
それにしても、広告を見ただけで、中身が判るような気がするくらい、パターン化しているのではなかろうか。気分が悪くなるくらいなら広告を見なければと思うのだけれど、つい見てしまうのは幾分か野次馬根性があるのだろう。
本が読めないと思いながら、毎月見ている雑誌類を並べてみたら、パソコン関係の月刊誌3冊、週刊誌4冊、鳥関係の月刊誌2冊、文房具関連の月刊誌1冊、週刊のビジネス誌4冊、出版社の広報誌4冊、専門誌3冊、ホビー関係1冊、漫画雑誌5冊、健康関係1冊が定期購読で、合計26冊と結構な数になった。でも、見ているというだけで、完璧に隅から隅まで読んでいる訳ではないけれど、時間はかかっている。この他、新聞が6紙、これはほとんど斜読みだから、たいした時間はかからない。
だいたいボケ気味の頭で沢山雑誌を読んでも、読む片っ端からザルのように抜けてしまうので、ただの活字中毒ということなのだろう。メモをとっても、日頃字を書かないので、字がどんどん汚くなっていて、自分が書いたのに読めないという悲しい状況になっている。
そうそう、文部科学省もゆとり教育の失敗を認めざるを得なくなってしまったようだ。この間のダメージは将来大きく響くだろう。「詰め込み教育」の反対が「ゆとり教育」になってしまったのは、どうして。なのだろうか。自分の経験からも、脳は若い時にストレスをかけて訓練しておかないと、年を取ってから訓練しても効果はないと思う。子供もゆとりがあり過ぎて、テレビゲームやパソコンで時間潰しするとか、偽金作りをするゆとりができてしまうみたいだ。
私が小学生の時には、一クラス63人という超過密な状態で、競争してきたから、一クラス20人などという話を聞くと信じられない気がする。高校受験も2.5倍以上の倍率だったけれど、今は全入に近い。大学も同じで、数年後には全入が可能になるそうだ。だから目標がなくても流れ作業のように学校をでることができるので、自分が何をしたいかが判らないひとが沢山いるようだ。
昨日も大学3年生の女性が、私のホームページを見て次のようなメールをよこしたが、返事のしようがなくて困った。
>>私は大学3回生で就職活動をしています。
>>将来私は何を扱いたいだろうかと考えたところ、
>>小さい頃から文具が好きだったことに改めて気づき、
>>文具を扱う会社に興味をもちはじめました。
>>
>>しかし、「好き」という気持ちに気づいたのがつい最近であるため、
>>自分が「なぜ文具が好きなのか」がまだいまいち分かりません。
>>そして今、それを解くヒントを探しています。
>>そこで、もしよかったらきたきつねさんがなぜ文具が好きなのか、お聞かせ願えない
>>でしょうか?
今頃になって改めて気がつかれても困るし、何故という理由も判らないというのだから、自分で考えなさいとしか返事のしようがなかった。それよりも自分が何をしたいのかも考えずに大学に行かないでほしい。世界一の金持ちになりたいとか、偉くなりたいだけでも理由がないのだろうか。なんだか無駄な教育投資をしているような感じがする。
ずっと前から考えてたのだけれど、高校の卒業資格を大検のような検定試験制にしたらどうだろうか。きっと面白いことになるだろう。大学も卒業資格試験を国家試験にすればと思ったりする。
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