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2005/01/24

全国学校給食週間

050124旧暦師走15日だから満月だ。でも寒いから見に出る気にならない。

今日は、全国学校給食週間の初日ということだ。「学校給食記念日」は12月24日で、昭和21年に制定されたということだが、週間が月遅れというのが面白い。ベビーブーマーのきたきつねは、この学校給食が始まって数年後に小学校に入学していて、小学校を卒業するまで学校給食のお世話になった。当時の給食は文字通り、栄養状態の良くない子供に食を支給する制度だった。

戦後の混乱期、農村部は少なくとも食べるものがあったようだが、都市部は食糧が十分にないというか、職にもつけない人も多く、子供の栄養状態も良くなかった。ルンペンという今でいうホームレスがいたし、物乞いが家にきたのを覚えている。そういえば橋の下に住んでいる人がいた。だから、子供にとって給食は一日の内で大事な生きる糧だった。

前にも書いたような気がするが、ララ物資の臭い脱脂粉乳は飲んで、給食のコッペパンを弟や妹のために持って帰る子もいた。今でも脱脂粉乳が嫌いな人がいるかもしれない。給食の時間を心待ちにして、盛りが少ないとか、パンが大きいといったことが関心事だった。給食を残すなどということはあり得ないことだった。

きたきつねの親父は、シベリアでタンポポの根やネズミなど食べられるものはなんでも食べて生き延びてきたらしい。親父はシベリアの話をほとんどしなかったので、胡桃沢耕史の『黒パン俘虜記』を読んだけれど、悲惨な体験はしたくない。親父は昭和23年の復員だから、失業者が街には沢山いたということだろう。

戦前戦後の都市部は食糧不足が顕著で、白ご飯をお腹一杯食べることはできなかったようだ。最後の予科練の義父は、若い時に一生分食べたといって、豆ご飯や炊き込みご飯、さつま芋は、絶対に口にしなかった。

現在は、日本全国で食糧消費量の三分の一が残飯になってるらしい。実際、宴会が終わった後のテーブルに残った料理を見ると悲しくなる。きたきつねが幹事のときは、食べ残しをしないように、少なめで準備することにしている。昔は、料理が足りないと非難轟々だったが、今は足りなくても文句をいう人はいない。

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