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2005/03/09

人柄の賞味期限

050309春が来た?日中は暖房なしでも過ごせるくらい暖かな日だった。その分、スギ花粉が大量に飛び回っているようだった。苦しいこと、目と鼻の間のパイプが詰っているようで、悲しくないのに涙がでて来る。

昼に郵便局にいったついでに散歩していると梅の花が、この陽気に誘われて沢山咲いているところがあった。色々な品種が植わっていて、『満月枝垂』という白梅がとても綺麗だった。隣には『玉垣枝垂』という紅梅が咲いていた。鼻が利かないので匂いは判らなかった。

今日は拘束される時間が少なくて、メールも少なめで比較的仕事がはかどった。それでも相変わらず机の上は混雑している。ブロードバンドルータでPCを内側に押し込んだけれど、Macintoshは快適に動くのに相変わらずウィンドウズのネットワークが不調だ。

サライの3日号を見ていたら、田辺聖子はんのインタビューが載っていた。お聖はんはもう76歳になったということだけれども、楽しい老後を過ごしているようだ。一言一言良いことをいっている。気に入った言葉は「男の沽券は、定期券みたいに使えばいいの。時々出したり引っ込めたり、そうゆうことができるか否かで、人間の器量が問われるわけ」ということは誰でもいえることではない。

『人柄の賞味期限』というのも面白かった。「佃煮や缶詰だけに賞味期限があるとは限らない。ただ人間と食べ物の違いは。人は修行すればいつまでも旬でいられる」というのもうな口を開けてずくだけだ。お聖さんの小説やエッセイも楽しいが、喋りも面白い。こんな年寄りになれるひとはどれくらいいるだろうか。非常に憧れてしまう。

人はいつまでも若く元気でいられるわけもなく、終着駅はあるのだから、それまでどう満足した人生をおくることができるかが大切だろう。「居なくなってよかった」とだけは言われないようにしたものだ。

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