怨霊の国
先日、島で鳥見をしているときに、一緒に回った人と鳥の名前を口にだして見たいといと、その鳥が目の前に現れることので、「日本は言霊の国だから」と話しながら回っていた。こんなことはバードウォッチングをしているときにしばしば起こることで不思議だ。これは地元の神様が願いを聞いてくれているとすればとても楽しい。
神社でお参りするときには、二礼二拍手が作法となっているけれど、実際はそのあと、自分の住所、氏名と願い事を声に出して言わなければならない。そうしなければ神様は、誰がどんな願いをしに来たか判らない。日本の神様は、人の心の中を読んで願いを叶えてはくれないということだ。絵馬もちゃんと住所、氏名、願い事を書かなければ、願いは叶わない。日本の八百万の神様は実に人間くさい。
そういえば、相当やんちゃなことをしているヤンキーさんが事故で死んだときに、友人や近所の人がテレビのインタビューに答えて「まじめで、おとなしいひとだった」とか、「親思いのひとだった」というのを聞くことがよくある。テレビに映った写真を見ると、おいおい、ちょっと待てよという感じで、人は見かけではないとはいうが、そのまんじゃないか。そうすると、週刊新潮あたりが、翌週に真相はこうだと載せるパターンになる。
死者を褒め称えるのは、作家・井沢元彦氏の『逆説の日本史』ではないが、人が死んだときに怨霊にならないように、あんたは偉かった、立派だったと霊をほめて良い気分にさせて黄泉の国へ旅立たせる習慣が残っているのではないだろうか。
きたきつねも死んだときに、「立派な人を亡くした」、「頭が良くて、優しい人だった」、「美男で、スタイルも良かった」、「これから会社を背負っていくはずだったのに」といってもらえるだろうか。いくら嫌なやつでもちゃんと褒めてくれないと怨霊になって祟るかもしれないので、もし知り合いの方がこれを読んでいたら、ちゃんと覚えておいてほしい。
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