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2005/07/23

奥州街道を歩く

050723_1今日は大暑で、暦の上では一番暑い日ということだったが、湿度が低く過ごしやすい一日だった。

越後高田の街の中を通っている奥州街道を北国街道との分かれ道まで歩いてみた。関川にかかる稲田橋の西詰から旧道の奥州街道に入ると、静かな佇まいの雁木の通りにでた。稲田橋のところには「稲田口番所」があったということだ。道沿いの家々は、仕舞た屋風の家が多いが、古い商店、宿屋など昔は賑やかだったことがよくわかる。雁木の下は段差があるが、日陰になっていて、炎天下を歩くことがなくてよいものだった。

今は人通りもまれな風情で、上越大通りにでるまで数人の人としか会わなかった。城下町に入る場所なので、城下の防備のために道が直角に曲がったり、交差点が食い違っているところが何カ所もあった。土浦でも旧水戸街道を歩いたときに、城下の入り口で直角になっているところがあった。敵の軍勢の動きをコントロールしたのだろう。

050723_2古い家並みの何カ所かで、建物が怖さrて空き地になっている場所があって、建物の断面が見えている。京都の町屋と同じような構造で、間口は狭いけれど、奥行きがあって、表が店舗になっていて、奥や二階が住居になっている。表の入り口を入ると、右側が奥に抜けることのできる通路がある。

屋根が道に向かって傾斜があるので、道の両側の屋根に積もった雪を、中央の道に落とすことになる。昔は、トラックなど大量に雪を運ぶ手段がないので、道にどんどん雪が積み上がってしまった。それで、通路を確保するために雁木というものが発達したのだろう。道路を占有することの代償措置として、各家が土地を提供せざるを得なかったのだろう。

050723_3旧街道の途中に「直江八幡宮」があった。由来の碑があったが、風化して文字がよく読めないが、延喜式の式内神社のようで、随分と歴史があるのではないかと思う。「直江」とあるから、昔は直江の湊があった、今の直江津あたりにあったのではと想像している。何かのきっかけで、越後高田に遷座したのではないだろうか。


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