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2005/10/16

伊万里焼と京焼

051016_1帰る前に上野の国立博物館で前回見逃した、興福寺の薬師如来の仏頭を見に行った。陸橋を渡って上野駅公園口方向から公園に入ると、雨にもかかわらず沢山人がでていた。

西洋美術館の前で、目玉がゆっくりと歩いていた。何かのパフォーマンスらしい。子供がいると立ち止まってじっと見たり、虫眼鏡を出して確認する仕草をしていた。

051016_2国立博物館に行くと、「華麗なる伊万里、雅の京焼」という特別展が表慶館で開催中だったので観ることにした。焼物はあまり得意ではないが、なかなか面白かった。

東インド会社の注文で中国のコピーを量産した伊万里が、技術を磨き、独自性を深め美しくなっていくのが判る展示になっている。三十年以上前に柿右衛門、仁和などの有田の窯元を幾つか見学したことを思い出した。そういえば、柿右衛門窯で気に入った香炉があって、手頃な値段だったので買おうとして値段を確認したら、金額の桁を間違えていてびっくりしたことなどを思い出してしまった。

京焼はオーダーメード的な高級品で、現代の陶芸作家の作品というものと同じで、凝りに凝っている。やはり焼物も極めると芸術になってしまうということがよく判る。それも量産物の伊万里でも同じだろう。もう一つ、デザインの良いものは、時代を超えても普遍的な機能と色、形の美しさが備わっていることが判る。

それにしても、展示品の説明の所蔵の欄をみると、個人蔵が多いことに驚く。焼物は古くから趣味として、収集の対象になっているからだろう。ということは、今回展示の品々は、見逃すと二度と見ることのできないものが多いということになる。眼福。表慶館の入り口のライオンが阿吽になっていたのに今頃気が付いた。見ても見えずとはこのことだ。反省。

興福寺の「国宝 仏頭」は、大化改新に重要な役割を果たした石川麻呂を鎮魂するために建立された寺院の薬師如来の仏頭で、後に火災にあって燃え落ちた状態のまま、新しい如来像の台座の中に安置されていたということだ。

白鳳時代のノーブルな顔立ちの仏頭で、千三百年前の空気を感じさせて貰った。これも興福寺東金堂が解体修理中で特別に公開されているのだから、一期一会になるのだろう。

東京芸術大学のボランティアの皆さんが、仏頭の制作工程を模型で展示していた。学生さんが解説してくれていて、非常によく判った。

051016_3博物館から駅に戻る途中に、人がたくさん集まっているので行ってみると、ジャグリングのパフォーマンスをしていた。外国人三人組で、パーカッションの演奏とジャグリングでみんなを楽しませていた。途中、観客の中から少女を連れてきて、仲間に入れてのパフォーマンスも面白かった。日本語で説明したりとなかなかなものだった。

近くにテーブルがあってそこにパンフレットがあったので見ると、「ヘブンアーティストTOKYO」という催し物ということだ。14日から16日まで上野公園と東京都美術館を会場に沢山のパフォーマンスが行われていたようだ。

先ほどのジャグリングは「Chipolatas」というイギリスのアーティストで、招待されているようだった。途中で出会った目玉人間も「MEDAMAN-MADAMAN」というパフォーマンスデュオだった。全部で66組のヘブンアーティストが参加しているらしい。

051016_4ヘブンアーティストというのは、東京都が審査して資格を与え、都内の公園や地下鉄などで活動を許された人たちのことらしい。毎年10月に上野公園でフェスティバルを開催しているということだ。

東京文化会館の近くで、「万年筆丸」というアーティスト(大道芸人?)が、昔懐かしい万年筆売りをやっていた。これは、二人組の一種の泣き売で、煤で汚れた万年筆を持った一人(小僧)が道ばたに座り込んで泣いて、人を集める。

人が集まった頃に、もう一人(さくら)がでてきて、「小僧さんどうしたんだい」と問いかける。

すると小僧は、泣きながら、「勤めていた万年筆工場が火事で燃えてしまって、給料の代わりに工場の万年筆をもらったけれど、こんなものを持って帰っても飯も食えない」というような話をする。

そうするとさくらが、「どれ一つ見せてみな」と万年筆を受け取って煤を落として、「こりゃあなかなか良いもんじゃないか、ペン先も金ペンだし、一つかってやろう」と値段を聞いて、「本当にそんな安くていいのかい、金ペンの万年筆じゃないか」という風に、周りのお客を誘って、煤で汚したぼろ万年筆を売るという香具師の仕事の一つだったものだ。

昔は、お祭りや縁日、さらには上野の公園のように沢山人が集まる場所には、いろいろな物売りがでていたもので、いろいろな香具師の芸を見ることができたものだ。「ガマの油」は見たことはないが、「レントゲン」、「蛇売り」、「十徳ナイフ」、「ノコギリ」、「パンタグラフ」など、一日見ていても飽きなかった。啖呵売ができる香具師が居なくなってしまったのだろうか。そうそう、ふうてんの寅さんも香具師で、「ひとつ国の始まりは大和の国・・・・」といった啖呵を映画の中でやっていた。

そういえば10年ほど前になるだろうか、不忍池の弁天さんの参道で、おじさんが「十徳ナイフ」を売っていた、ちゃちな今なら100円均一でも売っていないナイフで、木を削ったり、缶を開けたり、ガラスを切ったりするのを一通り見せてもらい、見料として1000円払って帰ってきたことがある。帰って使ってみても、あのおじさんがやったようには、きれいに缶も開けられなければ、ガラスも切れないから、あれは一つの芸なのだろう。


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コメント

日本の大道芸の中でも特殊な演目をやっておりますが、見ていただいて光栄です。
これ以外にもバナナの叩き売り等派手なのもありますので、また機会があればご覧下さい。

投稿: 万年筆丸 | 2006/01/30 17:38

万年筆丸さん

本当に特殊な演目ですね。本物は見たことがないのですが、死んだ親父がその昔し見たという話をしてくれました。

落語でも誰かがやっていたような気がします。

またどこかで見せてください。

投稿: きたきつね | 2006/01/31 00:09

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