何処に行っても雪の話題
夜は、久しぶりに地元の飲み会で「やすね」にでかけた。ここでも雪の話題で盛り上がっている。「この下に高田あり」という看板が出たという話のある昭和20年の豪雪の話は面白かった。60年前に少年だった人たちが、20豪雪はすごかったと盛り上がっていた。当時は戦争中でものがないし、男は戦争に狩り出されていたので、大変だったということだ。
屋根の雪は道に下ろすので、道は雪で埋まり人は、昼でも真っ暗な雁木の下を歩いていて、向側にいくにはトンネルを掘ったということだ。雁木の内側の雪は板ではたいて壁にしていて、春が来ると「雪鋸」でブロックに切り出して橇に乗せて川に捨てに行ったという。橇を立てて切り出した雪のブロックを乗せる方法や、川に雪を下ろす方法を教えて貰った。
それにしても妙高の関山で、積雪量の積算値は10m50cmくらいになっているらしい。これまでの豪雪のグラフと同じような降雪のパターンのようで、このペースで行くと昭和20年の豪雪を越えるかも知れない。
高田の花柳界で人気の桃子姐さんが、お年賀に名入りの手ぬぐいをくれた。年長のおじさん達は大昔からなじみで、ちゃんとご祝儀を用意していた。きたきつねなどは下から数えて数番目の若造なので、ただ見ているだけだった。
「田中角栄」という酒を飲ませて貰ったときに、娘が、角栄さんの銅像に屋根をかけさせたという話がでていた。そんなに思うならば、社殿を建ててその中に祀っておけばいいのに。日本は人を神にするのは慣れているので、問題にならないだろう。
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