梅雨前線が停滞しているということで、雨が降ったりやんだりのそれほどよい天気ではなかった。
友達と、昨年から気になっていた糸魚川の「塩の道資料館」に行った。国道8号線から148号線に入って姫川沿いを南に進んで、フォッサマグナパークの前を通過したときに、パークへの道の入り口に通行止めの看板があった。帰りに寄ろうと思ったに残念だと話していて、わき道に入るのを忘れて直進してしまった。
Uターンする場所がないので、どんどん松本方向に走って、駐車スペースを見つけてようやく戻ることができた。姫川の上流は増水して、水面に水煙を立てながら流れていた。
ようやく、県道に入って資料館に到着した。駐車場から見た資料館は、まるで廃屋のようで、看板が出ていなければ分からないだろう。中に入ると管理の人がいた。入館料を払って、中を見せてもらった。
茅葺の民家に、日本海側から長野に向けて、塩や海産物を運んだ歴史がわかる展示と、地元の伝統民具が展示したあった。展示しているものは貴重なものが多いと感じたが、いかんせん維持管理が良くないので、展示品の状態が良くないのが非常に残念だと思う。
塩は人の生活に必需品なので、山間部の塩が取れないところでは海のあるところから運んでもらう必要があったわけだ。昔、上杉謙信が武田信玄に塩を送った故事がのこるほど塩は重要だった。糸魚川は古くから製塩が行われていて、塩の供給基地だった。
国道148号線や大糸線が開通する昭和30年代まで、人の背に荷物をしょって運ぶ「ボッカ」や牛の背中に荷物を載せて、山道を越えていたらしい。そのルートが「塩の道」と呼ばれていて、終点が中信平の塩尻になる。塩尻は、太平洋と日本海の両方の「塩の道」の終点となっていた。
「ボッカ」は、男女の区別は無かったようで、女性でも40キロ以上の荷物を背負ったようだ。管理人の話では80キロくらい背負う人もいたらしい。
天気がよければ、「塩の道」を途中までハイキングするところだったけれど、雨が急に強く降り出したので、帰ることにした。県道を通って国道148号に戻る途中、布で作った人形や飾り物が道路の上を横断して吊り下げてあった。
何か伝統の行事だろうか。糸魚川では、七夕に紙の人形を海に
流す行事があるらしいけれど、これは良く分からなかった。
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