昭和33年
きたきつねは、昭和三十年代に非常に興味があるので、『昭和33年』という書名に直ぐ反応してしまった。
著者の布施克彦氏によると、映画「三丁目の夕日」のヒットを、ノスタルジーであって、過去を美化する日本人の性癖だから、昔は良かったといっているだけだという。それを論証するために。昭和三〇年代の代表として、昭和33年を取り上げて、いかにひどい時代だったかを、色々なデータを駆使して、一生懸命説明している。
昭和三十年代に子供時代を過ごしたきたきつねとしては、そんなことはみんなよく知っている。ものの全てが足りない、競争が激し時代で、今では考えられないような無理が通ったひどい時代を生きてきて、今の暮らしを作り上げたという自負と満足感で、あのころを懐かしんでいるのだろう。
だから、年寄り達は、昔は良かったとだれも思っていない。頑張ってきたプロセスを振り返って、頑張ってきて良かったと思っているのだろう。
「三丁目の夕日」を見た若い人たちは、なんだか生き生きとした社会を感じているのではないか。
きたきつねが、小学校時代を過ごした昭和33年の小学校は、ベビーブームと都市化の走りで、一クラス65人だった。今と同じ教室の大きさに、65人もの生徒が詰め込まれていた。ゆとりなどあるはずはない。
クラスに一人か二人は、給食費が払えない子がいたし、給食がないところでは、お弁当を持って来られない子もいた。お弁当を持ってきても、おかずは梅干しと海苔だけのようなもので、恥ずかしいから隠しながら食べるのが普通だった。
当時の受験戦争は、行きたい人が増加する時代に学校が少なく、今の受験など問題にもならないくらい壮絶だった。その後、雨後の竹の子のように、高校や大学が増加して、国立大学だけでも百校近くあるはずだ。高校も大学も全入が可能な現在と全く違っていた。
風呂は銭湯で、毎日入ることはできなかったし、洋服もセーターも母親の手作り、つぎはぎは普通だった。
福祉や社会保障制度は整備されていないから、生活も自己責任の世界だった。その代わり、努力すれば報われることの方が多かった。勉強のできない子も、運動会でヒーローになれる時代だった。
テレビの中の「うちのパパは世界一」といったアメリカのホームドラマを見て、明日は良くなるという希望があった。それよりも周りの変化が目に見えた時代 だったのだと思う。今は、飽食、物余りの時代で、変化がなくなってしまい、閉塞感を感じてしまう。今日より明日が良くなるという希望は見つけにくい。
今の若者達も「三丁目の夕日」を見ているのは、貧しい中から、明るい未来が開けるという、今の時代では起こることのないと思いこんでいるから、あこがれを持つのだろう。
「昭和33年」は、時代の事象を整理してあるので、高度成長期を生きてきた年寄りには、時代を思い出すための資料として、若い人たちには親の生きてきた時代をしる教科書として最適だと思う。
| 固定リンク
コメント