産で死んだが三島のお仙
車窓に雪に包まれた真っ白な富士山が現れた。強い西風が吹いているようで、山の東側に濃い雲ができていた。上空から見るとカルマン渦が見えることだろう。
車内で停車駅の案内があって、「三島」と聞こえたとたんに、頭の中にフウテンの寅さんの、啖呵で「産で死んだが三島のお仙」の文句が浮かんできた。寅さんが啖呵売で「物のはじまリが一ならば、 国の始まりは大和の国・・・」の中の数字の三にかけた啖呵だ。
三島から在来線に乗り換えて、富士から身延線に乗って目的地へ。富士の街は、製紙工場の独特の臭いがしていた。数分で臭いは感じなくなるけれど、毎日こんな臭いの中で暮らしている人たちは大変だろうな。
身延線というと圓生師匠の「豆腐え~、生揚げ、がんもどき」が落ちの「鰍沢」かと思いながら、ゆっくりした単線の旅を楽しんだ。駅を降りて富士山はと探すと、雲が出ていて見えないではないか。新幹線では見えていたのに、がっかりした。
用事を済ませて、地ビールを少し飲んで、B級グルメ日本一の「富士宮焼きそば」食べて帰ってきた。太めの麺がモチモチして、麺にからんだ鰹節の香りが非常に良く、旨い。
このところ出かける時は、「鉄道乗り換え案内」に完全に依存している。ところが今回の
旅で、「鉄道乗り換え案内」が完璧ではないことが判った。
それは、東京から身延線への乗り換えが、「鉄道乗り換え案内」では新幹線で『新富士駅』まで行き、徒歩で23分かけて『富士駅』に行き身延線に乗るというものだった。行きはその通りにしたけれど、帰りのキップを買う時に、「新富士駅は歩く距離が長いし、キップも高いので、「ひかり」も停まる三島に出るほうがいいですよ」といわれて、三島経由にした。乗り継ぎもスムースで「鉄道乗り換え案内」の到着予定時間前に東京に着くことができた。確かに、新幹線料金を含め1000円以上安かった。確かに他にスムースに行ける方法があるのに、23分も歩くというのは、あまり現実的ではないと思う。
教訓は、便利だからといって安易に依存すると失敗するということで、やはり自分で時刻表などで確認することが必要なのだろう。
長崎の銃乱射事件は、自殺した犯人が見つかったけれど、真相は複雑になっていくようで、やはり奇妙な事件になってきた。きっと週刊新潮あたりが、来週号で解説してくれるのだろう。
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