持続可能な発展
今日は五節句のひとつ『人日の節句』。朝ご飯に七草粥を食べて、久しぶりの出勤。仕事場に行くと不思議と仕事があるもので、挨拶回りもせずに、机にかじりついていた。
9連休だったけれど、結局まとまったことは何もできなかった。もう少し本が読めるかと思ったけれど、人の出入りが多かったり、雑用ができたりと集中できなかった。そういえば学生時代の夏休み、冬休みは、部活が無いときは何となく過ごしていたから、休みというのはこんなものかもしれない。何時も同じことを繰り返すというのは、それなりに何か効用があるのだろう。
2007年12月13日のBusinessWeekの記事「Guess Who's Building a Green City」が日経ビジネスOnlineにでていた。産油国のアブダビ首長国が、再生エネルギー開発に投資し始めたという内容だ。
ドバイもオイルマネーを、石油ではなく海外投資に向け、日本のソニー株を買うというニュースがあったけれど、産油国はオイルピークを肌で感じているのではないだろうか。
石油資源が枯渇または、地球環境問題で使用に制限がでたときには、石油依存ではやっていけないことは明白だ。「脱石油に先手を打つ」ということなのだろう。たった人口180万人の国だからできることなのか、本気であることは間違いない。
もう一つ興味を持った記事が、1972年に出版されたローマクラブレポート『成長の限界』の著者の一人であるデニス・メドウズ氏にインタービューした日経エコロジーの記事だ。
現代文明の危機は、「当初予測していた2020年よりも早く来そうである」とか、「資源の枯渇で、2050年には黙っていてもCO2は半分になる」という話は、きたきつねのイメージに近い。
「持続可能な発展」の可能性について、メドウズ氏は次のように分析している。
『「成長に限界がある」という時の「成長」は、エネルギー消費や物質的な拡大を意味します。米国の心理学者、マズローの欲求段階説では、こうした物質的な欲求は人の欲望の中では低い段階のものです。
そして、産業のほとんどはこの低い段階の欲求に応えることで、利益を上げてきました。一方、心の安寧や自己実現など、より高い段階の欲求ではエネルギー消費や物質的な拡大を伴いません。産業がこうした欲求に応え、ビジネスにできれば、「成長の限界」のなかで、社会や企業は発展し続けられるはずです。』
これこそまさに江戸時代の社会ではないだろうか。地方に色々な文化があり、松尾芭蕉が奥の細道を旅したときに、行く先々で俳句を仲立ちにした人との交流ができたのは、高い段階の欲求を満たす社会があったということだろう。
江戸末期や明治時代に日本を旅した外国人が、貧しいはずの日本の清潔さ美しさを賞賛しているのも、同じことだろう。
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