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宿に荷物を置いて、近くにある大日寺跡を見にでかけた。湯殿山信仰の霊場として弘法大師が開かれた寺院で、江戸時代中期には非常に繁栄した寺院だったということだ。その頃、大井沢の里は白衣の行者の埋め尽くされるほどの繁栄で「湯殿まで笠の波打つ大井沢」と歌に読まれていたということだ。
この寺も、明治時代に入り神仏分離令により、明治7年に廃寺となり、『湯殿山神社』となり、大伽藍も明治36年に山門と鐘楼を残して焼失してしまったということだ。
残された丹塗りの仁王門を見ても大きなお寺だったことが偲ばれる。
神社の左に建物の礎石が見えたが、これを見ても大きな建物だったようだ。それにしても、長い間神仏混淆で来ていたのに、天皇を現人神とする国家神道に合わせて、廃仏毀釈という暴挙をする必要があったのか、非常に疑問だ。
日本の八百万の神々は排他的ではなく、あらゆる神々から仏まで飲み込むことができる懐の広いものだから、神仏混淆でなんの矛盾もなかっただろうに、廃仏だけでなく、多くの文化財が失われたことも残念なことだ。
2008/05/02 日記・コラム・つぶやき, 文化・芸術, 旅行・地域 | 固定リンク Tweet
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