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2009/04/20

法事をしないわけ

きたきつねは、祖父母、父母の法事をしていない。お骨や位牌を拝むという仏事そのものについても違和感を感じているのだ。

故人をしのぶなどという行為は、法事の時だけにするものではないと思う。それよりも、死んだはずの親父もお袋もいつも一緒にいるということに気がつくべきだ。さらにご先祖様も全部一緒にいるのだ。

何故って、祖父母、父母だけでなくご先祖様を体の中に受け継いで我々は生きているからだ。親父とお袋の命を受け継いでいまのきたきつねがいることを認識することこそが、仏法で言うところの供養なのかもしれない。

年齢を重ねるごとに隠れていたご先祖様と一緒にいるというがはっきりしてくるような気がする。鏡を見ると、若い頃にははっきりしなかった親父やお袋の面影を見ることができるようになってきた。たぶん、会ったことのない曾祖父さんや曾祖母さんなどの影響も出ているのだろう。

それだけではない、親父の気の弱いところや、お袋の手先の器用なところ、祖父さんのどうしようもない強情なところ(祖母さんは「因業」といっていた)、祖母さんの山師的なところなど、細々と全部受け継いでいる。多分、発現していないけれど遺伝子としては引き継いでいるのだろう。

仏教とであるから法事をしなければいけないかといえば、それぞれの勝手ということだろう。

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