« 初秋の里山を歩く | トップページ | 江ノ島の弁天小僧 »

2009/09/20

記憶の中の平塚へ

090920_1

今日は「彼岸の入り」、早朝散歩のために外に出ると、快晴の秋晴れ。

天気も良いし、ふと、30年以上前に住んでいた平塚の街にいってみようと思いついて、お神様と一緒に行ってみるとことにした。

駅の指定券売機で「大人の休日倶楽部会員用ホリデー・パス」を買って出発。「ホリデー・パス」は、土浦、平塚、大月、木更津、小山などまでの区間が一日乗り放題で、通常2300円だけれど、「会員用ホリデー・パス」は1000円とものすごくお得だ。東京往復でつかっても安い。

乗り継ぎのタイミングが良く、2時間半かからずに平塚駅に到着。

まず、昔住んでいた家のあったところに行くことにして、南口から海岸に向かって歩き始めた。

090920_2

河野洋平さんのお屋敷は、塀だけが昔のままで、建物はなくなっていた。

090920_3

相変わらず神奈川中央交通(かなちゅう)のバスは、なんともセンスのない色の車体で走っていた。今でも平塚競輪場があるようで、競輪状行きのバスが走っていた。

平塚駅前のバスターミナルの地下道には、競輪でオケラになった人が段ボールにくるまって寝ていたりしていた。いまでも競輪ホームレスがいるのだろうか。

090920_4

記憶という物は曖昧で、河野邸を過ぎて直ぐのところに大きな杏雲堂平塚病院があったと思ったけれど、だいぶ歩いた先に杏雲堂前のバス停を見つけた。

広大な敷地に杏雲堂平塚病院があったけれど、今はふれあい平塚ホスピタルという全く別の病院が建っていた。杏雲堂はバス停の名前だけになっていた。バス停近くに、有島武郎の奥さんが入院していたことを書いた看板が立っていた。

さらに海岸に向かって歩いて昔住んでいた住宅のあったところに到着した。木造の6軒長屋は取り壊されて今は鉄筋コンクリートのアパートが建っていた。周囲を歩いてみたけれど、公園だけは変わらないけれど、他は全くわからなかった。

昔、買い物に行った商店街は僅かに残っていた。松風町の河野謙三さんのお屋敷も無くなってしまってマンションになっていた。当時、時折、散歩していた河野謙三を見ることがあった。

冬にゲーラカイトを上げていた湘南海岸公園は、松の木が大きく育っていた。渋滞する西湘バイパスを自転車の二人乗りでダイクマに買い物にいったものだ。そのダイクマは今はもう無くなってしまったらしい。

090920_5_2

海岸の家から、駅まで歩いて、駅前からバス乗って職場まで通ったけれど、古い住宅地ではなかったので、30年以上も経つと風景が一変してしまっていた。

平塚駅前に戻って、昔よく行った中華料理店「鶯」を探したけれど見つからなかった。梅屋だけは変わらずに残っていた。

090920_6

昔の職場のあった場所は、ちょっと遠いので、お神様が働いていた場所に行ってみた。今は総合公園になっていて、建物の跡もなかった。野球場や陸上競技場などがあって、沢山の市民が遊びに来ていた。

随分前から、一度行ってみようといっていたので、なんとなく安心した。昔住んでいた場所や職場が変わったことは知り合いから聞いて知っていたけれど、実際に行ってみると30年という時間はやはり長いものだ。

街に住んでいる人にとっては、毎日少しずつ変化しているので気がつかないこともあるだとうけれど、時間をおいて行ってみると大きな変化がはっきりとわかるものだ。

|

« 初秋の里山を歩く | トップページ | 江ノ島の弁天小僧 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/24505/46268278

この記事へのトラックバック一覧です: 記憶の中の平塚へ:

« 初秋の里山を歩く | トップページ | 江ノ島の弁天小僧 »