一日一生
年齢を重ね、どんどん手本となる行き方が無くなって、老いと言うことを自分で考えながら未知の世界を進まなければいけなくなった。だから「一日一生」という言葉は非常にインパクトを感じた。
「一日一生」というのは、きたきつねのイメージとしては、次の日に目が覚めないかもしれないから、自分の身の丈に合わせて一日一日きちんと生きることかなと解釈した。
それにしても随分長く生きることができたものだ。若い頃は、漠然と無限に生きることができるように錯覚していて、さらに自分だけは死なない気分でいたような気がしていたと思う。
でも、生老病死は人の運命で、年老いてきてようやく、夜寝るときに、明日の朝目が覚めないことがあってもおかしくないということが、実感として判るようになってきた。実に気がつくのが遅いと反省している。
それでも気がついただけでもいいかと思いながら、「一日一生」を頑張ってみよう。
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