twetterとiPadの作り出す世界
昼前から南風が吹いて、暑い暑い一日。
散歩道の畑の落花生に花が咲き始めた。ひっそりと葉の下で咲いている。
日経BPの小田嶋隆のコラム「ア・ピース・オブ・警句」はなかなかエスプリが効いていて毎週読んでいる。今週は「パウル君は好きなタコ壺を選んだだけ」は、サッカーW杯で有名になった予言ダコの話題から、twetterとiPadの作り出す世界について点火している。
私たちは、発信したり収集したり分析することにうんざりしている。検索したり解析することに疲れてもいる。
議論もしたくないし論争に巻き込まれたいとも思っていない。
だから、ひとりごとをつぶやき、ため息を吐き出し、時にはつぶやきをも断念する。さらに疲弊した時には思うことさえしない。ただ呆然と壁を眺める。
もちろんサーフィンなんかしない。
ただただブラウズする。積極的に検索するのではない。波に乗るわけでもない。
漂流し潜水し、時には溺死したままで半日を過ごす。
もちろんその気になれば世界中のウェブを閲覧することもできるし、検索も情報収集もできる。
でも、iPadの本旨は世界とつながるところにはない。
タコ壺だ。
見るけど書かない。
つぶやくけれども演説はしない。
眺めるだけで発信はしない。
ある意味、王の態度だ。
君臨すれども統治せず。
歩けども走らず。ウォーク・ドント・ラン。
権威は持っても権力は持たない。
監視はするが関与はしない。
発言をしても責任は取らない。
栄光ある無力。あるいは万能の無能力者。
素晴らしいじゃないか。
なかなか良いところを突いていると思う。iPadは情報の発信もせず、何も作り出さなくなるのではないだろうか。
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