志ん朝三昧
このところ、通勤の電車の中では、iPodで古今亭志ん朝の落語にどっぷり浸かっている。
「黄金餅」の死んだ西念を菜漬けの樽に入れて、金兵衛と長屋の連中が下谷から麻布絶口釜無村の寺まで運ぶ道順は、志ん朝の口跡の良さが一番分かるような気がする。何度聞いてもほれぼれする。
さらりと語りながら、人の欲望の際限なさをリアルに表現している。
富くじの話では、「御慶」と「富九」が対照的で、「御慶」は明るいばかりだけれど、「富九」の心の暗さは何ともいえず悲しくなる。
2001年に63歳という円熟期に亡くなったのは非常におしい。でも、本人は死んでも、話はいつまでも変わらずに残っているのがありがたいことだ。
| 固定リンク
コメント