高峰秀子との仕事
斎藤明美さんの「高峰秀子との仕事〈1〉初めての原稿依頼」と「高峰秀子との仕事〈2〉忘れられないインタビュー」の2冊を一気に読み終えた。
週刊誌記者の著者が映画俳優高峰秀子さんとインタビューや対談などの仕事を通して出会い、養子となり、死を看取るまでの交流を、雑誌に掲載された記事やエッセイなどを交えてまとめたものだ。
読みながら、途中で何度も涙がでてしまった。高峰さんの心持ちと、きたきつね自身の体験が共鳴したようだ。
86歳の人生の後半生を自分の好きなように生き抜いたと言えるのではないだろうか。
齊藤さんは、思い入れがありすぎて、時折暴走していまう感じが読み取れて、疲れるものがある。
だから、あまりにも5歳から親族を養うために働き、小学校にも通えなかったというような、高峰さんの身の上をお題目のように唱え過ぎなところが気になった。
そんなお題目を唱えなくても、高峰秀子は変わらずに高峰秀子だろう。
有名大学をでても、だめな人生を送る人間も沢山いることを考えると、小学校に通えなかったことは、結果としてなんの障害にもなっていなかったといえるだろう。
人としてどう生きるかということと、学歴や財力とは関係ないことは、山ほど実例があるはずだ。
きたきつねがこの本から感じたのは、高峰秀子という人は、一面とてもわがままな人だったという印象だった。
松山善三さんは、そのわがままを通させるために、自分の親族との交流も断って尽くしてきたのではないだろうか。
以前、松山善三さんのエッセイで、父親の一周忌に兄弟が集まったところで、家族の解散宣言をしたということを書いていたものを読んだことがあって、その時どうして家族を解散しなければいけないかと思っていたが、この本を読んでいてその意味が分かったような気がした。
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