二十四節気の「清明」
ヤマザクラの花も咲き始めた。
週刊文春4月5日号「文春図書館」で民俗学者の六車由実が介護の現場での体験として「たとえば、私がデーサービスで出会ったある宮崎出身の男性は、高度経済成長期の『漂泊民』でした。その方は、戦後、発電所から各村々に電線を引く仕事で、技術者グループの家族も含め十数人の大所帯で、村から村へと二十年まわっていたというのです」という風に述べている。
もし、六車女史のいうようにこの男性が『漂泊民』であったら、トンネルやダムを作ってきた多くの土木技術者も『漂泊民』であり、さらに故郷を離れ都会の会社に就職して、転勤の連続で暮らしてきたサラリーマンも当てはまるような気がする。
今は、子供の教育ということで、単身赴任という形になっているけれど、定住する自宅があっても、帰る故郷も失った人々は『漂泊民』といえるのではないか。そうなると、今の日本社会には昔よりも多くの『漂泊民』がいる社会なのだろうか。
柳田國男の常民が「水田稲作を基盤とする定住農耕民」ということであれば、大都市は『漂泊民』の吹き溜まりになってしまったのだろうか。
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