映画「人生の特等席」
今日公開のクリント・イーストウッド主演の映画「人生の特等席」を見てきた。
パソコンも使えない頑固一徹のガスと小さい時に父親に捨てられたと思っている娘の有能な弁護士ミッキー(エイミー・アダムス)がすれ違いながら、お互いを理解する親子のドラマ。
不器用な父親が娘に上手く思いを伝えられないもどかしさ、そして娘が立派な社会人として成功しているところは、非常に誇りに思っているところを上手く表現している。
とてもすてきな映画で、やはりクリント・イーストウッドはすばらしい。見て良かったと思うことのできる映画の一つだ。
日本映画が得意とするような、スケールなのだけれど、脚本だけでなく、非常に映像の作り方が美しい。
クリント・イーストウッドは、1930年生まれの78歳、先日見た映画「あなたへ」の主演の高倉健は1931年生まれの77歳で、一つ違い。
両方の映画を見て思うことは、クリント・イーストウッドが年相応の役を演じていたけれど、高倉健は、10歳以上若い役を演じているという違いは大きいということだ。
映画「あなたへ」の高倉健は、脚を引きずってあるくあまりにも痛々しい姿に涙がでてしまうけれど、クリント・イーストウッドは映画「グラントリノ」でもこの映画でも年相応の役で背中が美しい。
この映画で、PCとデータだけで物事を判断する風潮があるけれど、それにはちゃんと現場を目で見て、耳で音を聞くということが前提だということをいいたいのだろう。
昔からの人は、ちゃんと現場を踏んでいるから、PCとデータが生かせるので、データだけでは、それは虚構であるか事実であるか全く判らない。
自動観測の精度の高いデータといっても、以前アメダスの観測地点で温度計に植物が絡んでいて偏った数値になっていたことが問題になったように、それが正しいかどうかは、必ず人が確認することが必要になる。
リモートセンシングも、きちんとした現場の確認(グランド・ツルース)がなければ、予測された値は虚構でしかない。
ソニー、IBMなどの企業の凋落は、利益を重要視して、色々な有形無形の情報を蓄積してきた技術者や研究者を軽視してリストラした結果ではないのだろうか。
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