死ぬとき心はどうなるのか
ひとは確実に死に向って歳を重ねていて、いつかは死を意識することになるはずだ。きたきつねは、養老孟司さんの著作を読んで、ひとの五感で感じるもの、意識、感情など全てが脳の中で起こっていることでしかないと判ってから、死ぬことを自然に受け入れられるようになってきた。
自分の作った世界に生きているのだから、人によって違いはあるが、寿命が来て死ぬことは特別なことではない。生活習慣もあるが、事故や伝染性の病気以外は、寿命は遺伝子によって決まって来るだろう。
釈迦もきっと精神世界は脳の中で起こっていることが判ったのではないだろうか。般若心経や「十難無記」など釈迦の教えといわれるものは、精神世界は脳の中で起こっていることを示唆しているのだろうか。
老いて体の機能が衰え、脳が止れば死を迎え、死後の世界も魂もないことがわかれば、何も思い悩むことはないのではないか。死後の体は有機物の固まりでしかない。焼いてしまえば、有機物は灰となり無機物に還元されるだけだ。
きたきつね自身は、お墓についても何の思いも無い。無機物となった灰の置き場としての意味しか感じない。
残された時間は、これまでの生きた時間よりも確実に短いのだから、無駄にしないように生きていくことにしたいものだ。
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