« 旭山動物園 | トップページ | 艱難辛苦で天売島へ »

2016/07/02

旭川兵村記念館

160702_8

義母のリクエストで東旭川の旭川神社の境内にある旭川兵村記念館にいってみた。

明治時代にこの地に派遣された屯田兵の歴史と暮らしを保存し展示する施設で、各地にある民俗資料館と同じようだけれど、一般財団法人が運営していてなかなかユニークな展示となっている。

屯田兵というのは小学校の時に開拓農民でもあり北の守りについた軍隊でもあったということは習ったことはあるけれど、実態は全く知らなかった。

展示を見て非常に勉強になった。当時の北海道は醤油が凍るほど寒かった寒冷期で、冬を越すだけでも大変だったようだ。

市町村営の民俗資料館は、展示物の管理が酷く目も当てられない様なところが多いけれど、ここは管理が非常に行き届いていて、解説などもきちんとしていた。

きたきつねは各地の博物館や民俗資料館を見るのが好きなのだけれど、ここで初めて見たものもあって、非常に面白かった。

義母は目が悪いので、誰もいなかったので説明を読み上げながら見て回ったので時間がかかったので、館のひとがわざわざ出てきてくれて「普通は10分位で帰るのに、ゆっくり見てくれてありがたい」といってくれた。

他にもいろいろな話をしてくれたのもよかった。

160702_9

笹刈り用下駄というのがあった。当時はわらじだったので、笹を刈った後の切り株が足に刺さらないように使ったということだ。

開墾が終わって、水田を作ってからは田下駄としても使われたということだ。

160702_10

当時、移植栽培が難しかったので、直播が普及していたが、広い面積を手で播くのは大変なので、屯田兵の中で開発されたのが黒田式水稲直播機ということだ。モミを播く筒が長くタコ足のようだったので、タコ足と呼ばれたということだ。

明治時代に特許が取られていて、特許証が展示されていた。相当普及したらしい。

160702_11

タコ足の浸漬したモミを入れる部分で、平らな板を動かして、筒の中にモミを落としたらしい。

160702_12

寺門式水稲直播機(ネコ足)。モミを撒く筒が短いのでタコ足との比較でネコ足と呼ばれたらしい。

160702_13

貴重なコメを増量するためにイモなどを細かく切って混ぜた糅飯を食べていて、その時に使った「糅切り(イモ刻み器)」。

一回の動作で、イモをスライスして中で細かくする構造になっているようだ。この道具も初めて見た。構造を知りたいものだ。

160702_14

水田で草取りをする時に、稲の葉先が目に刺さらないように使った網目の防護メガネがあった。

このようなメガネは初めて見た。

160702_15

北海道指定有形文化財「屯田兵絵物語附屯田絵巻」が特別展示されていた。

絵は上手くないけれど、当時の屯田兵の生活を広範囲に記録してあって、農具の使い方、季節ごとの作業など当時の様子が事細かに分かって非常に貴重な資料だ。

160702_16

雪が積もった時に木を伐採したので、雪が深い地域なので春になると雪が融けて背の高い切り株が出てきたということだ。

160702_17

農作業の様子。

160702_18

帰りに旭川神社で夏越の祓の茅の輪くぐりをしてきた。

|

« 旭山動物園 | トップページ | 艱難辛苦で天売島へ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/24505/63883789

この記事へのトラックバック一覧です: 旭川兵村記念館:

« 旭山動物園 | トップページ | 艱難辛苦で天売島へ »