東京国立博物館:特別展「茶の湯」
全体を見て、茶の湯が日本に入ってきて足利将軍家が進めたのは特権階級の遊びだったけれど、その後金儲けになることに目をつけた商売人の千利休がビジネスとして磨きをかけ、その弟子たちがそれを広げ、小堀遠州に至って完成させたということが分かった。
朝鮮の日常雑器を運んできたり、竹を削って曲げたり、陶器を変形させたりしたものに名前を付けて、添え書きをつけて金持ちにプレゼントすれば、高額のお礼が届くということになるのだろう。
さらにそれを商売として、システム化し物販や資格販売につなげていった頭のいい人がいたということだ。浄土真宗の中興の祖といわれる蓮如上人に匹敵する頭のいいひとなのだろう。
システムが出来上がれば、引き継ぐ人は非常に楽だったろう。
この特別展の第二会場に入った時に、頭のなかに三代目桂米朝師匠の「はてなの茶碗」の噺が流れてきておかしくて仕方がなかった。
茶店で使っている数物の茶碗が千両になるという噺で、箱書きや添え状があればゴミでも金になるという茶の湯をからかった内容だ。
東京では、五代目古今亭志ん生師匠が「茶金」という演目で演じたらしいけれどこちらは音源を持っていないので聞いたことはない。
茶の湯には、三代目三遊亭金馬師匠の「茶の湯」や「金明竹」という噺もある。
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