さて70歳までに
きたきつねはこれまで2回死ぬ予定をクリアしたことになっている。60歳と65歳で死ぬ予定だったけれど、まだ生き続けている。
60歳は父親の亡くなった歳、65歳は母親が亡くなった歳で、弟二人は50歳と49歳で亡くなっていて、きたきつねが親の亡くなった歳を超えるような気がしなかった。
両親の亡くなった歳を越したので今は70歳で死ぬ予定にした。もちろん家族からは大いに不評だ。一番長生きするのではとも言われている。
時期は人によって違うだけで、人は必ず死ぬものだから、きたきつねは死ぬことはそれほど恐れているわけではない。死んでしまえば、何も感じることが無くなるだけでなく、存在自体無くなるわけで、葬式も含め本人はあらゆることから関係がなくなる。
ただ、いつ死ぬかはわからないのが困るところだ。そこで自分で死ぬ期限を決めているというわけだ。期限を決めておけば、それを前提にして置かなければいけないことをしておくということだ。
ひとは期限がないと、だらだらとして何もしないものだ。きちんと期限を決めておいても、期限前に死ぬこともあるだろうけれど、ある程度はすべきことは一部でも済ましておけるだろう。
もう一つは身体の劣化の問題だ。老いるということは、今日できたことが明日必ずできるようになるという保証がなくなってくる。ロコモティブシンドロームならまだましで、認知症にでもなれば、さらに思い通りにならなくなる。癌、心筋梗塞、脳梗塞などもいつ何が起こるかもわからない。
いくら寿命があっても思い通りに動いたり、体験できなければ生きている甲斐がないだろう。
きたきつねは若い時に死ぬのが怖かった。特に突然死が不安だったことがある。それが、ある時信頼していた医師から「突然死の因子は生まれたときからあるんだから、心配してもどうにもならないよ」といわれてそれ以来気にならなくなった。
その後、家族、親類、友人の色々な死に出会ったし、さらに、養老先生の「死の壁」を読んでさらに死を恐れる気持ちは無くなった。
後はどう生きるかということだけだろう。
末期患者が死ぬ前に感じる「五つの後悔」というのがある。
1.他人の期待に沿うための人生ではなく、自分がやりたいことをやっておけばよかった
2.仕事ばかりしなければよかった
3.自分の本心を伝えておけばよかった
4.友だちと連絡を絶やさないでおけばよかった
5.自分を幸せにしてやればよかった
こんなことは元気なときからやっておけば後悔することは無くなるのだろう。今は、次の区切りにしている70歳まで後悔をしないように暮らしているつもりだ。
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