鈴木理生「江戸の町は骨だらけ」
集英社の読書情報誌の「青春と読書」で椎名誠の「椎名誠のエンディングノートをめぐる旅」が連載されている。鉄人椎名誠も73歳になってそろそろ終活を考え始めたようだ。
4月号は「遺骸と地獄好き」で、葬送の方法から仏教の修行の九相観に至り、江戸時代以前は人が集まるところでは、谷や沼沢地など荒れ地に人が捨てられたりした場所の地名などについて鈴木理生「江戸の町は骨だらけ」が引用されていた。
「江戸の町は骨だらけ」が気になったので、読んでみたが非常に面白かった。徳川家康が江戸に入る前から、台地部の縁などに人が捨てられたり、寺に埋葬されていて、江戸の城の構築や武家地の拡大によって、埋葬地が飲み込まれ、移転が追いつかなかったらしい。
現在は大きな墓地もあるけれど、東京の寺には今でも墓地が併設されているところがあるように、寺には都市の死体の処理場としての機能があって、江戸の町も町人地も拡大するに従って、寺院の移転の際に墓地が残されてしまったようだ。
また、大火や疫病の流行で数万人から数十万人の死者がでて、その遺体の埋葬地も必要だったはずで、それが地下鉄工事、ビル建築など都市開発の時に都内各所で遺骨がでてくることになるということだ。
どこを掘っても遺骨などが出てくるので、遺骨が出てくると処理が大変なので、闇から闇に進められていることもあるらしい。
その他、土葬、火葬などの葬制、明治維新後の廃仏毀釈にからんだ寺と神社の変遷など興味深い情報がまとめられている。
意外と現在の墓制などは近代に始まったもので、古来からの伝統ではないことも興味深い。実際に土浦周辺には土葬の習慣があって、きたきつねが鳥を見に行く場所にも土葬の墓地がある。
高齢化が進んでいるけれど、不死はありえないので、これから大量死の時代に入っていくことになるので、墓の問題は考えて置く必要があるだろう。
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