駆け足で北海道開拓の村
きたきつねの祖先が明治半ばに北海道に入植した時に住んだと思われる茅葺きの小屋は、寒さを凌ぐのは大変だっただろう。
母校の旧札幌農学校寄宿舎「恵迪寮」も移設されていた。ここには住んだことはないけれど、同期が住んでいて寮祭はテレビでも放送されたことがある。
岩見沢の市街で大正末期から昭和33年まで営業していた旧広瀬写真館は、きたきつねの祖父母や父も撮影してもらったのではないだろうか。
二階の写場は自然光で撮影するために、屋根の一面が大きな窓になっていて、遮光カーテンで光をコントロールできるようになっている。
一番、興味深かったのは旧小川家酪農畜舎で、札幌農学校出身の小川三策氏がアメリカから取り寄せた設計図を参考に建築した「キング式牛舎」で、19世紀にアメリカで普及した牛舎の典型的なスタイルになっている。サイロは、別の農家で使われていた札幌軟石のサイロだ。
2階に乾草を収納するためのバルーンフレームと呼ばれる構造の屋根と、牛舎内の温度差を利用した自然換気システムが特徴だ。その後、根本原理を理解せずに、外観だけ真似をする牛舎ができて牛の健康が害される問題が起こっている。
きたきつねが37年ほど前に畜産関係の雑誌に、この「牛舎のキング式換気システム」について古い文献を解題したことがあるので、非常に懐かしかった。
エントランスの建物にこの牛舎の模型があって、換気システムを見ることができる。
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