雨ニモ負ケてしまった宮沢賢治
昨年11月に、茨城県自然博物館の企画展「宮沢賢治」を見てから、宮沢賢治の著作をいくつか読み直してみた。
久ぶりに読んでみると子供の頃と随分違った印象だった。どの著作も非常に分かりにくいもので、子供の頃どのように理解したのだろう不思議だ。
宮沢賢治が童話作家で詩人といわれているけれど、それは死後のことで、生前に出版された作品は自費出版の二冊のみ。
生前評価されず、37歳で没後評価されたのは、原稿の出版や全集の編纂など弟清六氏の尽力が大きかったようだ。まるでゴッホと弟のテオの関係のようだ。
農学校の教師の職を得ながら、退職し職業を変えていく。結局は親からの資金のバックアップに依存していた。
「雨ニモマケズ」は、賢治は一生を顧みて、何もできなかった病気の自分を見つめた賢治の憧れを記したもののような気がする。
死後の天才とまでいわれた評価を知らずに、他の多くの才能達と同じように評価されることなく浄土に向かってしまった。
人生の最後に近くなったスレた老人には「雨に負け、風にも負けてしまって、世間から認められたい欲はあるのに病気になリ、何にかになることを諦めざるを得なかった」という人生の遺書として読めてしかたがない。
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