予科練平和記念館でシベリア抑留の企画展
今日は二十四節気の「秋分」、七十二候の「雷声を収む」、「社日」、「彼岸」、「国際ビーチクリーンアップデー」。
台風12号の影響で北向きの風が吹いて夏日だけれど過ごしやすい一日になった。
阿見町の予科練平和記念館で戦後75年交流企画として平和祈念展示資料館所蔵資料展「7つのテーマで知るシベリア抑留」が開催されているというので見に行ってきた。
終戦後旧満州を含む中国北部にいた将兵約57万5千人がシベリアに強制的に抑留され、労働力として酷使され、約1割の5万5千人が死亡して帰国できなかった。
きたきつねの父親も旧満州新京で終戦を迎え、バイカル湖近くのチェルナゴールカ収容所で二年の抑留生活を送って、帰国できている。父親からは当時の話は聞いていないので、胡桃沢耕史さんの『黒パン俘虜記』やおざわゆきさんの「新装版 凍りの掌 シベリア抑留記」などから知るしか無かった。
実際の展示は「戦闘・連行・酷寒・重労働・飢餓・埋葬・帰国」の7つのテーマでシベリア抑留者の労苦が分かるけれど小規模なものでちょっと残念だった。
それでも、寒さの中での労働の様子や一日の食事を見て多くの人たちが耐えていたものだと感慨深いものがあった。
それにしても過酷な生活を何年も続けられるものでないだろう。持病があったり虚弱な人には耐え難いものだったのだろう。
戦争が終わって強制的に抑留されるといのはベルサイユ条約に反することで、関東軍との抑留に関する密約があったのではないかという話もあって、未だに真相は不明のままだ。
もし父親と同じ年くらいで同じ境遇にあったら生きて帰ってこらただろうかと考えてしまった。
時間を見つけて東京新宿の平和祈念展示資料館を訪ねて見ようとおもった。
予科練平和記念館はコロナ対策で、検温、連絡先の記入などをさせられて、平常展示も展示室に一度に5人の人数制限されていた。
義理の父が予科練出身ということで、こちらも気になるところがあった。
義父は飛ぶ飛行機がなく訓練も受けられず、千葉の海岸で塹壕堀をさせられていたということで、無事帰郷できたけれど、特攻隊には多くの予科練出身者が出撃させられている。
今回初めて自衛隊の敷地にある予科練記念館「雄翔館」にも寄ってみた。こちらは予科練出身の戦没者の遺品や資料が保存展示されていて、非常に重い雰囲気の場所だった。
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