« 近所の川沿いで散歩 | トップページ | 今シーズン一番の冷え込み »

2021/12/14

齋藤幸平「人新世の『資本論』」

イギリスのグラスゴーでCOP26が結局何も決まらなかったと同じ状態で不完全燃焼で終了した。現在の人類が生きている世界は相当な厳しい状況にならなければ何も動かないということになるようだ。

地球温暖化問題は、調整とか合意といった政治の世界で解決できる問題ではなくなっているからこれからどうなるか、どうするかは全くわからない。

人新世の「資本論」は昨年の9月に発刊されて直ぐに読んでいたが、認識は正しいような気がするのだけれどなんだかもやもやしたものが残っていて、今日まで来てしまった。

人新世というのは、「人類の活動が地球の表面を覆い尽くして生態系や気候に影響を及ぼすようになった時代」とノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェンが造った言葉で、ちょっと大げさな気がする用語だ。

たかだか百年単位の人類の活動が漸新世や更新世のような地質時代に相当するくらい地球に与えた影響が大きいとかといえばそうではない。人類が自らの活動で現生の生物全体の生存を脅かすようになってしまったということで手前勝手なことに過ぎず「時代」くらいのくくりでしかない。

46億年の地球の歴史の中では小さな絶滅の瞬間でしかないし、地球という惑星にとっては、過去の変化に比べれば現在の気候変動問題といわれる状態は問題にもならないことだ。

何億年もかけて光合成で蓄えた炭素を一気に開放すれば、もとの大気中に高濃度の二酸化炭素があった時代に戻るに決まっている。

キャッチーな言葉を選んだのだろうけれど、この本のタイトルにするにはそぐわないような気がしている。

この人新世とマルクスの資本論がどうつながるかわからなかった。ただ、地球環境問題は資本主義では解決できないというのが、本書の趣旨のようだ。

本書では資本主義の限界について述べられているけれど、著者の切り口と違うけれど経済学者の水野和夫が2014年に書いた「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社新書)や生物学者の本川達雄の「生物学的文明論」(新潮新書)でも生物学的なアプローチで明らかだろう。

資本主義は、著者が外部化としている「安い原料と労働力」と「無限の消費」というサイクルが切れた途端に崩壊するシステムで、安い原料の中に環境も入っているから環境が極めて大きなコストになってしまったということになる。

著者がいっているようにSDGsも新しい需要を創出するためのものでしかないのは明らかだろう。

しかし、著者は地球環境問題の解決はマルクス主義でコモンズを広げていくことで解決できるように考えているようだけれど、強欲な資本主義と渡り合えるのだろうか。

著者の現状のままでは行き着くしかない終末社会をイメージできていないような気がする。
基本的に現状のままで持続させるということを前提に考えているのではないだろうか。

地球環境問題は1972年のローマクラブの報告書「成長の限界」の予想の通りになりつつあって、根本原因は人類の環境と資源の浪費であり、解決方法は使わないという選択しかない。

そのことが判っていながら半世紀を省エネルギー、脱炭素などといった小手先の対応だけで過ごしてきてしまっていて、もう後戻りできない状況になってしまったのではないか。
自然現象は指数関数的に変化するので、現在の温暖化のスピードは近い将来急速になってくることは想定しなければならないだろう。目に見える減少は地球の規模の効果で遅れているだけだ。

それに対する現在の社会の対応は、都市への人口集中を止めず、電気自動車や再生エネルギーなどの新しい産業を創るなど、ウロウロしているだけで終末への覚悟はない。

地球は現状の人間活動を許容するほどの人類にとって好適な環境を維持するほどの容量がないということだ。

人新世という大風呂敷を広げるなら、著者にはこのままでならの行き着く先を明示して、より具体的な社会の対応方向を示してほしかった。

|

« 近所の川沿いで散歩 | トップページ | 今シーズン一番の冷え込み »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 近所の川沿いで散歩 | トップページ | 今シーズン一番の冷え込み »