ほっかいどう語
熱帯夜で真夏日。
昨日のCOVID-19のワクチンの副反応は注射針を刺した肩が痛いので、ゴロゴロして休養することにした。
ゴロゴロするならと、今施設にいる義母の本棚から昭和45年北海道新聞社発行の「ほっかいどう語」(もちろん絶版)を借りてきて読むことにした。
北海道は、明治維新以降全国各地から多くのひとが屯田兵や入植者などで移動してきていて、各地の方言ではコミュニケーションが取れないから北海道共通語である「ほっかいどう語」は各地の方言、アイヌ語、外国語取り込んで自然発生的に作り上げてきたものだ。
実際は各地でバリエーションがあるけれど会話が成り立つ共通語といえるだろう。
同じことが明治維新以降に東京山手言葉をベースに標準語を作った過程と同じだろう。標準語とほっかいど語は、似ているけれど、共通語が成り立つ過程が違うので用語、文法、イントネーションなどで違いがある。
シバレル、コワイ、ハンカクサイ、アッパクサイ、ジョッピン、イタマシイ、カツケル、バクル、アズマシイなどの単語や「手袋をはく」、「ゴミをなげる」といった使い方は独特のものがある。
きたきつねは標準語を使えると自負していたのに、就職した最初の神奈川の職場で「手袋をはく」といった時に周りの人達からおかしいと言われて、何がおかしいのか分からなかったことがある。
50年前の本なので、北海道ネーティブ4代目位までに作り上げてきた過程がわかり易く解説されていて読んでいて楽しかった。俳優(?)の大泉洋が素で話しているのがほっかいどう語といってもいいだろう。
きたきつねは、小学校に入ってそれまで家族や近所のひとと話していたのと違う言葉に出会って驚いた記憶がある。さらに、中学校、高校と進学するたびに、それまでと違う言葉に出会っていつも戸惑っていた。語彙やイントネーションが出身地域、職業などで微妙に違うのだった。
きたきつねは北海道開拓4代目で、転勤も含め北海道で31年間暮らしているので、ほっかいどう語ネーティブのつもりで、この本の中の言葉は道南半島部の「浜ことば」以外はよく分かっている。
その後50年近くなるのでだいぶ変遷はあるようだけれど、微妙な違いはあっても標準語に近いほっかいどう語になっているようだ。
日本各地で標準語は使われているけれど、地方ごとに地元の人達の間では方言の要素を取り込んだ会話が行われているように、北海道でも同様だろう。
そういえば結婚したての頃、ボロい長屋に住んでいてかみさんが電話で話していたのを聞いて、通りがかりのひとが「北海道のひとですか」と訪ねてきたことがあった。
参考までに、この本に載っている夏目漱石の「坊っちゃん」の冒頭をを道南半島部の浜ことばで訳したものを引用しておきたい。()内が発音になる。東北弁のようだけれど、何県の方言というわけではない。なんとなく近畿地方の関西弁と似ているかもしれない。
親譲り(ゆんずり)のやんちゃでわらしの時(どき)がら損ばかりしている。小学校(しょうがっこ)に居(え)る時(どき)、学校の二階(にがい)から飛び降りて一週間(えっしゅかん)ばり腰抜がしたごどある。なしてそったらばがだことしたがど聞く人(しと)あるがも知れね。大した深(ふけ)あ訳(わげ)もね。新(あだら)し二階(にがい)がら首(くんび)出してだっけ、友達(ともだじ)の一人(しとり)が態(わんざ)になんぼ威張(えんば)ってもそごから飛び降りるごと出来ねべ。意気地(えぐじ)なし。とばがにしたすけよ。小使(こんづがえ)に負(おんぶ)ぶさって帰って来たっけ、父(とっ)ちゃ大(でっ)け眼(まなぐ)して二階(にがい)ぐれから飛び降りて腰抜がす奴(やず)あがと言(ゆ)ったすけ、今度(こんだ)抜がさないで飛んで見せると言(ゆ)った
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