昭和98年の東京
月刊誌「熱風」9月号に文筆家の御田寺圭が「ブリッジー分断された世代への橋渡し」の中で、「東京は日本のどこよりも『遅れた』街で、たったひとつ昭和の続きをやれているという」という。
逆に先端の未来は「高齢化が著しく人口減少し、地域の産業も雇用も失われ、国からの交付金で地域の高齢者福祉を成立させている地域こそ日本がやがて直面するであろう『未来』をどこよりも早く先取りしている」という。
東京を筆頭に各地の大都市は、その人口規模と経済力で、未来がくるのを必死で先送りしているにすぎないとも。
確かに、視点を変えれば地方は日本の未来の姿というのはうなずける。
戦後の悲惨な状況から、復興を果たし、人口を増やし、所得倍増させ、東京オリンピック、大阪万博などのイベントを成功させ、名目GDPで世界2位まで上り詰め、世界を買い占める勢いだった昭和の日本は、今日よりも明日が明るくなると期待された時代だった。
その後、高齢化、人口減、経済力の低下などマイナス要因が積み重なって、地方は衰退の一途になっているのが現状で、半導体を始めとして工業生産技術も空洞化してしまった。
政府は現状を認めず、東京オリンピック、大阪万博といったオワコンやゼロ金利政策などの弥縫策でなんとかなると抵抗しているけれど、足元では多くの産業が国際競争力を失い、黒字なのに後継者がいないことで、廃業する商店や工場などが増えてきている。
それなのに高度成長期の昭和にすがりついているのが大都会ということになる。
そして日本の現状を顕著に現れているのが地方ということだ。
真摯に未来を見つめる必要がある。
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