今日は「道路交通法施行記念日」、「デパート開業の日」、「鞴祭」、「霧笛記念日」。
冷たい乾いた西風が吹いて体感気温が下がって寒い一日。
サザンカが咲いて落ち葉焚きといきたいところだけれど、今はできるところがない。
国連気候変動枠組条約第28回締約国会議COP28が先週終わったけれど、結果は予想通りというか地球温暖化(地球沸騰化)の解決に1ミリも近づかなかった。
地球温暖化がCO2削減だけで解決できるような幻想さえも実行できないようだ。
CO2を再生エネルギーで代替すればいいというのも、いかなるエネルギーも消費すれば必ず熱になるのだから、エネルギー消費の総量を減らすしかないのだし、それも省エネルギー程度の対応では無理なことは明らかだけけれど、国や企業の利害の前には何もできない。
人口の問題もあるけれど、世界中のエネルギー、鉱物資源の消費を少なくとも19世紀の消費水準まで下げて行かなければ、人類の大量絶滅の危機は避けられないだろう。
そのような全人類的な合意ができるかといえば、欲に染まった人たちがいる限り不可能かも知れない。
今までの世界の社会、経済システムを根本的に変えることができなければ、現状でももう後戻りできない状況なのかもしれない。
このようなことは1972年のローマクラブレポート「成長の限界」で警告されていたはずで、世界は50年間なにもしてこなかった結果でしかないだろう。
人類の強欲が自らの生存の可能性を奪うということだ。
気候変動が大きくなり大絶滅になる時は地球の歴史時間から見ると一瞬にして起こるだろう。
6600万年前の恐竜大絶滅の時には小惑星が地球に衝突して巻き上げられた太陽光を遮るほど大量の硫黄や二酸化炭素を大気中に放出し、地球が寒冷化したためで、その期間は数年の単位ではなかっただろうか。
大きな気候変動が起これば、気象災害による直接の死、食料となる農作物、家畜の生産が減少し、災害や人口減少で物資の生産減少や流通の不全なども起こり飢餓による死などとなるだろう。
今生まれた子供が成人を迎えることができない位のタイムスパンだろうという人もいる。どちらにしても100年単位という緩やかなものではないだろう。
以前「人新世」についてあまりにも短期間のことを地球の年代と考えていいのだろうかと反対したが、よく考えてみると妥当だったと考えるようになってきた。
それにしても私達は非常に良い時代を生きさせてもらったということで、過去のひとや未来のひとに非常に申し訳ないと思いながら、最悪の時代を迎えることになるだろう。
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