山形市から米沢市を通って帰ってきた
大手門、堀などが残されていて、野球場は撤去されて発掘調査がはじまっていた。
公園内には大きなポプラが植えられていて、白い綿毛の種が沢山降っていた。
偶然、今日は国際博物館の日で、博物館は無料開放になっていた。きたきつねは、博物館や民俗資料館が大好きなので、地方に出かけたときには可能な限り観覧することにしている。博物館や資料館には意外と興味深い資料に出会うことができるのと、その地域の行政の文化政策の状況もしることができる。
山形県立博物館には尾花沢で出土した国宝の縄文の女神が所蔵されていて展示されていた。
考古や民俗、自然などの資料が展示されていたけれど、資料の状態はあまり良くなく、カラー写真などは退色してしまていた。
庄内地方で背中に荷物を背負う時に使う背当て「ばんどり」があった。
博物館を出て、明治時代に建てられた山形県県立病院だった「旧済生館本館」を移築した山形市郷土館を見ることにした。
尖塔がついた明治初期の擬洋風建築として国の重要文化財と近代産業遺産となっている。明治期の医学関係の資料が展示されていて、撮影禁止となっていたけれど、著作権などの問題もないようなものばかりで、それよりも状態があまり良くなかった。
山形市では他に見たい場所もあったけれど、米沢にも寄りたいので出発した。
米沢市の米沢城址苑に着いたのがちょうど昼近くだったので、レストランで一応米沢牛ということでスジ肉のカレーを食べた。米沢牛のステーキやローストビーフなどは高すぎて年金生活者には合わない。
食後、最初に 米沢市上杉博物館で国宝の洛中洛外図屏風上杉本を見ることにした。5月19日までの春の原本展示だったので最初と最後の二回見てしまった。
洛中洛外図屏風は上杉本を過去に見ているけれど、今回は非常に近くで見ることができたので、眼福だった。歴博の甲本、乙本を見ているけれど、上杉本は桁違いに美しい。
もちろん、洛中洛外図屏風は撮影禁止だけれど、NHKのサイトで精細な画像を見ることができる。国宝、国宝級の資料も多かった。
博物館のエントランスに能舞台があるのはびっくり。
特別展「上杉茂憲 最後の藩主と米沢士族」も見ることができた。盛りだくさんで資料も多くゆっくり見たかったけれど、時間が足りなかった。
上杉鷹山は米沢市民に愛されていることがよく分かった。ジオラマやフィギュアがよくできていて、こちらは楽しかった。
もう一ヶ所市内の民俗関係の資料館に行こうと思ったけれど、疲れてしまい、帰りの運転もあるので、上杉神社を見て帰ることにした。
上杉鷹山はやはり破格の藩主だったと思う。
祖母が口癖のようにきたきつね兄弟の子供の頃に言っていたことばも鷹山由来だった。
博物館、神社と上杉家のための施設といってもいいようだ。もう一ヶ所、宮坂考古館も見たかったけれど、疲れ果ててしまい帰りの運転もあるので諦めた。
予定が決まっていれば、予約が必要な農村文化研究所置賜民俗資料館も見たかった。
米沢から福島で東北道に接続する自動車専用道ができていて、順調に走ることできて、日没前に帰宅することができた。
今回の旅で一番驚いたのは、ガソリンの価格で、山形県ではレギュラーガソリンが1L、187円だった。茨城県の一般のGSでは167円位なので、ずいぶん高く感じた。
もう一つは、茨城県と違い随分車の運転が大人しく、制限速度を遵守して、譲り運転をするドライバーが多いことだった。県民性がでるのだろうか。
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