今日の飛びもの 共立航空撮影のCessna 208 Caravan I(JA889P)
牛久市ひたち野上空1,600mを共立航空撮影のCessna 208 Caravan I(JA889P)が通過した。
本を呼んでいたら上空をプロペラ機の音がしたのでFlightrader24で見ると、1月24日と同じような航跡の航空機があった。
少し離れてたけれど眼の前を通過するのを待機して撮影した。今回も前回のエリアの南側を航空測量していたようだ。
牛久市ひたち野上空1,600mを共立航空撮影のCessna 208 Caravan I(JA889P)が通過した。
本を呼んでいたら上空をプロペラ機の音がしたのでFlightrader24で見ると、1月24日と同じような航跡の航空機があった。
少し離れてたけれど眼の前を通過するのを待機して撮影した。今回も前回のエリアの南側を航空測量していたようだ。
今日は旧暦1月1日の「新月」、「旧正月」、「春節」、「南極昭和基地設営記念日」、「世界救らいの日」。
旧暦の正月は、大寒の後で立春に前後(年によって違う)になっていて、寒さの底から暖かくなる時期で、今年は2月3日の立春の少し前で、「迎春」、「新春」といった言葉がぴったりだ。
グレゴリウス暦の1月1日は寒の入りの直前で、寒さに向かうので旧暦の正月のほうが体感的に正しい感じがする。
最近、病院の待合室で「おや?」と思う人に連続して何人かを見て、認知機能の低下を自分でコントロールできるものならと思った。
ネットを見ていたら医学雑誌「Lancet」が2020年に認知症のリスクを減らすことができる12の危険因子を発表していたが、昨年、視力低下、高LDLコレステロール新しい危険因子に含めた注意すべき14項目の危険因子を発表したそうだ。
修正可能な14の認知症危険因子
<2020年に示された12の危険因子>
教育水準の低さ、外傷性脳損傷、運動不足、喫煙、過度の飲酒(純アルコール168g/週超に相当)、高血圧、肥満、糖尿病、聴覚障害、抑うつ、社会的孤立、大気汚染
<新たに追加された2つの危険因子>
視力低下、高LDLコレステロール
危険因子の修正は、遺伝的に認知症になりやすい人にも発症リスクの低下をもたらすことが分かっていて、危険因子に対する修正の開始は早ければ早いほどよく、生涯を通じてリスクを低く保つことが必要なようだ。
これら危険因子の修正を行う時期を、若年期、中年期、高齢期に分け、個々の危険因子について、集団寄与危険割合が推定されているということだ。例えば「教育水準の低さ(集団寄与危険割合は5%)」を修正するには18歳未満から取り組まなければならず、普通には手遅れかもしれない。
きたきつねの場合、外傷性脳損傷、喫煙、過度の飲酒、糖尿病、抑うつ、社会的孤立は該当しないようで、残るは高齢期(66歳〜)から修正できる危険因子の社会的孤立、大気汚染、視力の低下が残っている。大気汚染と視力の低下をどう修正していくかが課題だけど
Livingston G, et al. Lancet. 2024 Aug 10;404(10452):572-628.
今日は「コピーライターの日」、「衣類乾燥機の日」。
夕食は水餃子を作った食べた。2人分だと簡単にできる。
2日連続で付き添いで取手駅にでかけた。
同じ常磐線沿線でも全く用事がないので駅に降りることはなかったので、待ち時間に駅西口の周辺を歩いてみた。
取手駅は1896年(明治29年)の開業の古い駅なのだけれど何か特徴がないような気がする。
国道6号線から見える西友の看板が気になっていたが、建物は「リボンとりで」となっていて、ダイソーや市の出張所などが入っていて、西友は規模を大幅に縮小してワンフロワーの食品スーパーで営業していた。もう総合スーパーの時代は終わったようだ。
駅ビルにはアトレで書店、スタバ、キャンドゥなどが入っていた。ちょっとだけ時間を潰すことができた。
今日は「国旗制定記念日」、「ハワイ移民出発の日」、「求婚の日」、「ナチス犠牲者記念日」。
ここの跨線橋には少年だけでなく少女が、時々、金太郎や色の違うときわが通るので常磐線の電車を見に登っている。
昨日、夢でどこかに旅行に行っている時に、昔の仲間Y君とお互い声もかけずにすれ違った。起きてから、かみさんに珍しくY君が夢の中にでてきたんだよと話して、そういえば最近会わないけどどうしてるんだろうと思っていた。
夜になって、電話が来たので、でるとなんとY君からだった。話の内容は麻雀をしようよというということだった。何時でも良いよと返事をして、夢の中の話はこれだったのかと笑って電話を終えた。
偶然なのだろうけれど、ちょっと不思議な感じがした。
今日は「文化財防火デー」、「帝銀事件の日」、「有料駐車場の日」、「パーキングメーターの日」。
今朝は強い霜が降りて畑は真っ白だった。日中は強い北向きの風が吹いて体感気温は氷点下近くなったようだ。
今週の1月23日にNHK-Gで放送された映像の世紀バタフライエフェクト「ベトナム戦争 マクナマラの誤謬(ごびゅう)」を見て、アメリカの戦争の仕方は合理的に見えても、実際には馬鹿みたいなものだったとうことが分かって悲しくなった。
「マクナマラの誤謬(ごびゅう)」というのは数字にばかりこだわり物事の全体像を見失うことをいう意味の言葉として使われているらしい。
アメリカ合衆国のケネディ政権とジョンソン政権で国防長官を務めたロバート・マクナマラは、データー分析に関して神童と呼ばれていて、28歳の時に陸軍中佐として太平洋戦争末期データ分析でB29爆撃機を使った日本本土の無差別爆撃の発案者で46万人の一般市民の死者を出している。
マクナマラは、データ分析の結果からコストを下げて最大の効果を得るための爆撃方法として、命中率は悪くても米軍機の損失を最小限にする1万メートル上空を飛ぶB29爆撃機の大量投入というアイデアを提案した。それに輪をかけたのがアメリカ空軍の総司令官のヘンリー・アーノルド大将で焼夷弾の使用を考え出した。
マクナマラは、ケネディ政権に国防長官として加わり、日本での無差別爆撃の成功体験で、データ分析を駆使してベトナム戦争に勝利しようとした。
数値では計れないベトナム人の愛国心やアメリカ市民の反戦感情に目を向けることなく、アメリカを300万人の犠牲者を出したベトナム戦争の泥沼にはまり込ませたという。
戦争の成果を効果的に評価する方法として敵兵の死者数を指標にして、アメリカ兵の死者一人に対する敵兵の死者数が1:10となるようにするボディー・カウントを導入した。ところがベトナムは死者が増えても抵抗を止めずにアメリカの敗北になった。
データ分析には、自然法則や科学の法則に従うものは計測可能で予測可能であるけれど、作用に対して反応するようなものすなわち人の気持ちや信念のようなものが介在するものは計測できず予測もできないということだ。いくら天才でも人が機械仕掛けのような反応をすることを理解できなかったということだ。
番組の最後でもマクナマラは自分の間違いを認めていなかった。
こんな人のお陰で多くの人が死んでしまったというは、誤謬ということでは済まいないだろう。
部屋の片付けをしていたら昔使っていた1.7倍のテレコンバージョンレンズとレンズアダプターが出てきたので、面白そうなので高倍率コンデジPanasonic LUMIX DC-FZ85に付けて見た。
LUMIX DC-FZ85は倍率60倍のズームレンズで35mmカメラ換算で最大1,200mmの超望遠レンズのカメラで、デジタルズーム2倍を使うと2,400mmの超望遠レンズになる。
1.7倍にすると、換算最大4,080mmになる。
1.7倍のテレコンバージョンレンズは、OLYMPUS TCON-17という10年以上前のモデルで、それほど解像度が良くないけれど、遊んでみることにした。
TCON-17をレンズアダプターに付けて、カメラに取り付けた。TCON-17を直接カメラのレンズに付けるとレンズのズーム機構が正常に動かないので、レンズアダプターが必要になる。レンズアダプターはLUMIX純正のものになる。
今日は「初地蔵」、「郵便制度施行記念日」、「法律扶助の日」、「ボーイスカウト創立記念日」。
毎日3月下旬の気温が続いていて、暖かい。
きたきつねの家は高断熱、高気密の家なので、暖房の無い寝室は寒い日でも12℃前後、トイレでも10℃前後、リビングは蓄熱暖房機を弱く入れているので17℃位あるので、ヒートショックの可能性は低いと思う。
夜間電力が1kWh6.5円の時代は100%の蓄熱で使っていたけれど、今は28.85円なので蓄熱量を25%にしていて、夜間はエアコンを使っている。
睡眠時無呼吸症候群の治療でCPAPを使っているのだけれど、年明けに交換用マスクが届いた。新しいマスクを固定するバンドが前と同じサイズのはずなのに顔が大きいきたきつねには非常にきつくて不快なので、大きなサイズのバンドがないのかいつも相談する地域の支店に電話するとメーカーのコールセンターに転送された。
どうも電話に出た男性のオペレーターは不慣れなようで、何か聞くとちょっとお待ち下さいということで、音楽が流れることが繰り返され要領を得ない。色々尋ねて一つ上のサイズが有ることがわかった。
以前、電話した時に出た女性のオペレーターはきちんと必要な情報を教えてくれたのに、なんで商品知識のないひとをユーザーの窓口に置くのだろう。
結局、医師の指示がないとサイズを変えることができないというので、仕方がないので病院に電話すると支店に連絡してくれて、担当者から電話があり、直ぐに大きなサイズのマスクを送ってくれた。支店の担当者によると、人で不足で電話はコールセンターに自動転送するようになってしまったということだった。
試してみると、大きな顔のきたきつねにぴったりだった。前のバンドは我慢して使っているうちに伸びてきて楽になったけれど、早く大きなサイズにすればよかった。
今日は「カレーの日」、「飛行船の日」、「ジャズの日」。
午前中は腰のリハビリに行ってきた。がっちり施術を受けてきた。
公衆電話機のガチャを見ていたら、50年前の独身寮での出来事を思い出した。
独身寮には黒電話があって、市内電話かけるときは10円硬貨を貯金箱にいれ、市外電話をかけるときには100番通話で通話料金と利用者の名前をメモ帳に書くことになっていた。
その頃、遠隔地のガールフレンドと長電話する人が多く、一番多い人は給料の殆どを電話代にする感じだった。なんでも管内でも飛び抜けて100番通話の利用が多かったらしく、電電公社から公衆電話に替えてほしいという申し入れがあって独身寮に100円が使える黄色の公衆電話が設置された。
独身寮などに公衆電話が設置されることは電電公社で前例がなく初めてだったらしい。それだけ電話をかけたということになる。オペレーターは夜間に電話が終わるまで待機させられて音をあげたのかもしれない。
ちなみに、100番通話というのはオペレーターに相手の電話番号を伝えて、電話をかけてもらい、通話が終わった後にオペレーターから料金と時間が知らされるサービスだった。106番通話は相手が電話料金を払うコレクトコールだった。
100番、106番通話などのオペレーターを経由するサービスは2015年7月に終了しているらしく、意外と最近まで残っていたようだ。106番通話がないとお金がない人が電話をかけることはできなくなってしまったということだ。
黄色の公衆電話は昭和47年(1972年)に100円硬貨が使える公衆電話としてデビューしたのだから、新式が独身寮にきたことになる。ただし、当時の黄色の公衆電話もダイヤル式で、記憶では写真のようなプッシュ式ではなかったと思う。プッシュ式は昭和50年(1975年)9月デビュー。
黄色の公衆電話が無い頃は、公衆電話で長電話するのは大変で10円硬貨を大量に用意して硬貨の落ちる音や督促音を気にしながら硬貨を入れていたものだった。
今はスマホで一人1台の時代だから若い人にはまったく分からないだろう。
大洗・苫小牧航路の深夜便の「さんふらわ だいせつ」に代わってLNG燃料の新造船の「さんふらわ かむい」が今日から就航した。
大洗・苫小牧航路の深夜便は、海鳥観察によく利用されているので、新しい「さんふらわ かむい」が海鳥観察に適しているかどうかは非常に興味深い。
「さんふらわ かむい」の総トン数は「さんふらわ だいせつ」の1.4倍近い15,600トンと大きくなっているが、車両搭載数、乗船定員はほぼ同じになっている。
だいせつが別の航路で使われていた中古船を購入して使ってきたため、色々不都合があったものを改善しているようだ。例えば客室やユーティリティーは1フロアにまとめられ、客室は4人部屋だったカジュアルルームはなくなり全室個室となり、ペット同伴の客室も8室用意されていたりする。レストランはないのは従来通りだ、
海鳥観察で気になるのは、屋外のデッキの位置と高さで、レイアウトを見る限り屋外デッキは使えそうだ。高さはだいせつの第4甲板が20.5mで満載吃水が6.85mだったので、海面から14mくらいだった。
かむいでは、諸元を見ると2mほど高くなるようだ。写真ではもっと高い位置からみるような印象で、実際乗船してみなければ分からない。
ただ屋外デッキの位置が、船首から後ろの方になっていて船首方向が見づらいのではという懸念はある。
今日は「料理番組の日」、「薩長同盟成立の日」、「初大師」、「大師縁日」。
体調が悪い日は出かけるなということで、天気が悪くなったのだろう。
今年の年賀状は少なかったけれど、1枚切手シートが当たった。
アメリカ合衆国の第47代大統領にドナルド・トランプが就任して地球温暖化対策の国際的な枠組み「パリ協定」離脱、WHO脱退、自動車の排気ガス規制の撤廃、不法入国を即時かつ完全に阻止、バイデン前政権の78の大統領令などの撤回、グリーン・ニューディール政策の終了と“EVの義務化”の撤廃などの大統領令に署名した。
これで地球温暖化対策はノーリターン確定ということになる。
これから、何が起こるか分からないけれど、不安定な社会になっていくことは間違いないだろう。
今日は二十四節気の「大寒」、七十二候の「蕗のとう花咲く」、「二十日正月」、「アメリカ大統領就任式」。
高気圧が通った後に温かい風が吹き込んで気温が14℃近くまで上昇し3月末の暖かさとなった。
毎朝、食べているバナナ・きなこ・ヨーグルトのために買ってきたバナナに皮が一体化したものがあった。珍しいのではないだろうか。
毎日、新聞のおくやみ欄を見ているのだけれど、葬儀までの日数が1週間から10日になっているのに気がついた。
死後24時間は火葬できないので、死後2、3日で葬儀、火葬が行われるのが普通だと思っていた。
地域によっては、葬儀の前に火葬するところもあるようだけれど、それにしても葬儀までの期間が長い。
冬で寒いので長患いや体力が落ちた人が亡くなる人が多くなるのではと思うけれど、葬儀場や斎場がこんでいるというのは考えても見なかった。
おくやみ欄への掲載は、任意なので掲載を希望しない人もいるので、実際になくなった人は掲載された人数よりも多いので、斎場の能力を越えてしまい、火葬の待機が出てきているということなのかもしれない。
年間の出生数の3倍も人口のいるきたきつねたちの団塊の世代が死に始めると頃には火葬待ちが1ヶ月を超えるのではないかと想定されているし、いくら寿命が伸びたと言っても高齢者が増えてくれば亡くなる人も増えてくるので火葬待ちはでてきて当たり前なのかも知れない。
といって、少子化が進むことはわかっているから、多死だからといって将来を考えると無闇に火葬炉を増設することはできないから、仕方がないのだろう。
朝は雨が降っていたけれど、昼前から晴れてきたので印旛沼にトモエガモの群れを見に行ってきた。
年々トモエガモの飛来が増えているようで、今年は10万羽を越えたのではないかと言われている。
確かに年末に見に行ったときよりも群れが大きい印象だ。
韓国で越冬するトモエガモの数が変わらないらしいので、どこから来たのだろ。
夕方に沼から飛び出し雑木林でどんぐりなどを食べて朝に戻ってくるのだろう。
飛翔力を考えると印旛沼の周囲は千葉だけでなく茨城の雑木林まで移動しているのではないだろうか。
というのも、茨城の県南エリアの溜池や公園の池でトモエガモが普通に見られるようになっていて、印旛沼から採餌に飛来した群れで帰りそびれた個体が残っているのかもしれない。
今日は「年賀はがきお年玉抽選日」、「のど自慢の日」、「家庭消火器点検の日」。
昨日より気温はちょっと高めだったけれど、天気が悪くなりそうだったし、足の調子が悪いので買い物に付き合ってから休養日。
夕方、今年になってまだ見ていないコハクチョウが乙戸沼に戻ってきたというので見に行ってきた。コハクチョウのいる場所の近くの駐車場まで車で行って約300歩で見てきた。
乙戸沼では例年、コハクチョウは年の暮れに飛来して春近くまで滞在するのだけれど、元旦に見られず、その後一度飛来したのにまた居なくなったと聞いていて、昨日友人が見たよと知らせてくれた。
最近急に老眼が進んできて、スマホや本が読みにくくなってきてしまった。新しい近目用のメガネを作りにいかなければいけないようだ。
昨日の朝日新聞のbeに音楽クリエーターの亀田誠治さんのエッセイ「きっと大丈夫」の中に夫婦間でアレして、アレ取って、アレどうしたなどで通じることを「アレパシー」と呼んでいるとあって、これはなかなか良い言葉で使ってみようと思った。
今年始めての霞ヶ浦パトロールに行ってきた。
土浦市手野から霞ヶ浦西浦中岸をかすみがうら市田伏に進み、霞ヶ浦大橋を渡り行方市玉造から霞ヶ浦西浦左岸を潮来市永山の北利根橋で常陸利根川を渡り、稲敷市本新から霞ヶ浦西浦右岸を通り稲敷大橋を渡り浮島、古渡で古渡橋を渡り稲波干拓、信太古渡から美浦村大山、阿見町大室、土浦市大岩田までの湖岸線と干拓地を巡ってきた。
聴力、視力が落ちているので見逃しはあると思うけれど観察種は56種だった。通常見られるはずの種が随分落ちているので、60種以上は見られたのではないだろうか。
早朝は低温で蓮田には氷が張っていた。その氷の中でもレンコン掘りの作業が行われていた。
カモ類は13種見ることができて、中岸と右岸の土浦よりと左岸の常陸利根川の河口部に多く集まっていた。明らかに湖面での銃猟が可能なエリアにはカモはほとんど見られず、見れれても散弾銃が届かない岸から100m以上離れた湖面にいた。
オオバンは狩猟対象から外れたためか猟区でも岸近くでも見られた。
情報の少ないツグミは増加しているようで、各所で見ることができたが、飛来したばかりのようで樹上に多かった。
越冬シギチは中岸は少なめでかすみがうら市にに多く、右岸では稲敷市の蓮田で見られ、特にハマシギが合計200羽以上見られた。
猛禽類はミサゴとトビが多く、ミサゴは例年と同じ位の数が越冬しているようだ。
カモメ類はユリカモメ、カモメ、セグロカモメの3種で、毎年越冬していたシロカモメは見られなかった。今回はユリカモメが非常に少なく、右岸の土浦寄りで少数見られただけで、不思議だった。
今日は旧暦12月15日で「満月」、「タロとジロの日」、「十四日年越し」。
天文学的な満月は午前7時27分だったので、朝起きられなかったので、夜になってから少し月齢が進んだ満月。
鳥を見に行っているけれど、目はまだ大丈夫だけれど、聴力の低下は問題になるレベルになってきたようだ。もともと右耳が聞こえが悪く、耳鳴りがあるので、左耳を頼りにしている。
聴力の低下は日ごろ気になってきていて、ヤブサメのように聴力的には絶滅した鳥がでてきているけれど、まだ大丈夫だと思っていたけれど、若い人が聞こえている藪やアシの中の音圧レベルの低い地鳴きが聞こえないのに愕然とした。
そろそろ補聴器の使用を考えなければいけないかもしれないけれど、一般の補聴器は周波数域が日常会話を対象としているので、バードウォッチングに適しているかどうか調べてみようと思う。
最近の補聴器は、聞きづらい周波数域だけを増幅するように調節できるらしいけれど、高性能なものは価格が高いのでそちらも検討の対象のようだ。
高齢者になると身体の劣化は避けられないけれど、それなりに対応していくのか、道具を使って機能を維持するのか、これから色々なことで考えなければいけなくなるのだろう。
今日は「スキー記念日」、「桜島の日」、「パンの日」。
今朝新聞を取りに外に出たら、白い粒が落ちていて、少しだけ雪がふったようだ。
欧州連合(EU)の気象情報機関「コペルニクス気候変動サービス」が去年1年間の世界の平均気温は記録が残る1850年以降、最も高く、工業発達以前と比べて初めて1.5度以上高くなったと発表した。
2024年の平均気温は人類が大量の化石燃料を燃やし始めた工業発達以前よりも1.6度高く、過去10年間の気温は記録史上最も高温だったことになる。
パリ協定で世界共通の長期目標として、「世界的な平均気温上昇を産業革命以前 に比べて2Cより十分低く保つとともに、1.5Cに抑える努力を追求すること」としているが、目標が達成できるかどうかは分からなくなってきたといえるだろう。
地球温暖化がPoint of No Return(引き返せない点)に到達したのかもしれない。
だいたい、二酸化炭素を出さない再生エネルギーといいながら、全体のエネルギー消費を減らすということを考えていないので、再生エネルギーの利用量が増えると最終的に熱の生産が増えるのだから温暖化対策にならない。
原発は、火力発電と違うのは二酸化炭素を出さないだけで、排熱の発生があることを忘れてはいけない。
持続的に発展するためにはエネルギーが必要で、AIをみても一つのシステムで中規模の都市が消費すると同じくらいのエネルギーが必要ということを考えても地球を加熱することは止まらないだろう。
二酸化炭素などの温室ガス発生量を指標とするのは結局まやかしなので、現状のままでは人類の絶滅の可能性は否定できない。
今日は「鏡開き」、「蔵開き」、「塩の日」、「厚生省発足記念日」。
最低気温が氷点下の日が続いているので、早朝は霜柱ができている。
今日も里山散歩に出かけた。
出発時は快調だったけれど、途中から脊柱管狭窄の影響で右足にしびれが出てきて歩行が厳しくなってきたので、同行の仲間に杖を借りて歩き始めた所、だんだん良くなったので最後まで歩けた。これからは杖を使うことにしよう。
梅林にモズの古巣があった。道から少し奥だったので、これまで気が付かなかった。ヒヨドリの巣と似ているけれど、深さがあるのでモズの巣だと思う。
池には一部氷が張っていたけれど、カモには影響がないようだ。マガモを中心に8種類のカモが500羽以上いるようだ。
先週まで見られなかったオナガガモの小群が入っていた。
今日は「風邪の日」、「とんちの日」。
冬至が過ぎたので、昼時間は9時間55分で少しづつ長くなってきている。日の出は6時51分、日の入りは16時45分とまだ朝夕は暗い。
昼過ぎまで時間ができたので、駆け足で阿見町大室から稲敷市本新の霞ヶ浦西浦右岸と甘田干拓、稲波干拓を駆け足で回ってきた。
今朝は冷え込んだので、蓮田は凍結していたけれど、レンコンの収穫作業が行われていた。出荷時間の制限があるのだろう。
霞ケ浦の水面は凍結していなかった。
まだ狩猟期間中なので、湖面での銃猟ができる美浦村の馬掛から大山湖畔公園までと、稲敷市飯出から稲敷大橋周辺の水面のカモは非常に少なかった。陸側は稲波干拓とその周辺の特別保護区と和田公園周辺以外は銃猟ができるのでそのエリアも岸近くにカモは少なかった。
オオバンは狩猟対象ではないので大手を振って動き回っていた。
田起こしをしているトラクターの後ろをアオサギ、ダイサギに混じってハクセキレイ、セグロセキレイ、タゲリがついて虫を摂っていた。
今日は「消防出初」、「佐久鯉誕生の日」、「ケーキの日」、「六日年越し」。
曇りで午後から雨という天気予報だったけれど、今年も、友人と那珂市の古徳沼を起点に、中里溜、一関溜、東海村の松村の谷津田、久慈川河口、 ひたちなか市阿字ケ浦海岸、磯崎海岸、平磯海岸、大洗町の大洗海岸公園、大洗漁港、神山の涸沼、鉾田市涸沼水鳥・湿地センター、宮ヶ崎の涸沼川河口で日没を迎えるというほぼ毎年同じコースを回った。
正月の連休明けの月曜日ということで、どこも人が少なくゆったりと回ることができた。
結果は、過去最低だった昨年の63種+外来種1種よりも多い71種+外来種1種だった。多くなったのは、小鳥類とシギ・チドリ類が例年よりも多くなった影響だろう。
年々鳥が少なく見づらくなっているようで、特にカモメ、海ガモ、アビ類が少なくなってきているようで、アビ類は全く見ることができなかった。
各所でツグミが少ないと言われているツグミに出会えたが、1羽だけだった。
昨年と同様シノリガモの個体数が多い印象だった。不思議なのはハシビロガモが全くいないことだった。
今日は二十四節気の「小寒」、七十二候の「芹栄う」、「新年宴会」、「魚河岸初競り」、「いちご世代の日」、「つむぎの日」。
今朝は小寒らしく氷点下4.6℃と一番寒い日となったけれど、雲が出ていたので、昨日よりも霜が下りなかった。
初場所が近づいてきていて、新大関大の里が所属する近所の二所ノ関部屋では昼に何か行事が行われたようだ。
新しい年を迎えて、若い頃と違って明日が必ずくる保証がなくなってきているので、特に目標を立てることはない。これまで通りできることを続けていくだけだ。
今年も病院と仲良くすることになりそうで、来週から病院通いが続く。
ひとも老いてくると、身体のいろいろな部分に故障が出てくる。きたきつねの股関節や歯のように部品を取り替えることのできる部分もあるけれど、多くの部分は完全に壊れてしまわないように薬などでだましだましいくしかないようだ。
今日は「戊辰戦争開戦の日」、「ジョン万次郎帰国の日」、「かけおちの日」。
気温が6℃までしか上がらず、氷雨の一日。
年末から来ていたまごぎつねも帰り、静かな夫婦二人きりの生活が戻ってきた。
ゴロゴロ続きで箱根駅伝、アメフトのライスボールをボーっと見てしまった。
NHK+で昨日のNHKのEテレで放送された「カラーで蘇る三代目金馬」の藪入を視聴。大好きは三代目金馬師匠の藪入は何度聞いても親と子の情愛が素敵だった。下げの「忠のお陰だから」は
年末に納戸の段ボール箱から北海道で子供の頃使っていた木札の小倉百人一首がでてきた。
昭和30年代のもので、一時一家離散した時に失われたと思っていたので、30年以上前に札幌のおふくろのアパートを整理した時に出てきたので、持ってきたのかもしれない。
北海道では、百人一首の下の句を詠んで、下の句を書いた木札を勢いよく取る結構激しい遊びだった。その昔は集落対抗の試合があったらしい。
大人になって百人一首は上の句を詠んで下の句の札を取るのを知って、恥ずかしかったことを思い出した。
その後、映画「ちはやふる 上の句」で競技かるたも結構激しいもので、勝負となるれば同じだと思った。
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