死を考える
今日は「昭和の日」、「天長節」、「社会教育週間」、「畳の日」。
天気が良いのに遊び過ぎで休養日になった。
今朝の朝日新聞の朝刊に高橋源一郎の「歩きながら、考える」で家族の死から葬送のありかたについて、コンピュータに制御された巨大納骨堂、樹木葬の「桜葬」、ひとりで死ぬことが当たり前になってくる時代の遺族なきひとにとっての「死者の人権」について考えている。
これを読んでいた年末に読んだエース編集部編「死を考える」(集英社)で読んだことを思い出した。
人はだれでもいつかは間違いなく死を迎えるのだけれど、死そのものは変わらないけれど、葬儀をはじめとする死者を悼む考え方や方法が時代によって変遷していていることを多くの専門家が多面的に述べていて、その中でも高橋さんの考えが詳しく示されている。
中でも小谷みどりさんの「現代日本のお墓事情」の中で「日本人は昔からお骨を大切にしていたというのは単なる思い込みで(中略)大切に思う遺骨は大切な人のものだけであって、疎遠だった親族の思い入れはない。」、「日本人に先祖意識などありません。知っている祖先なんてせいぜい祖父母の代くらい。見たこともない高祖父母に手を合わせてもそこに意味はないんです。」など日頃から考えていることが多く共感した。
これから起こる問題として孤立死とデジタル遺品については考えていかなければいけないだろう。
目次
第1章 死を哲学する
養老孟司「ヨーロッパの墓を巡って思うこと」
香川知晶「命をめぐる倫理的問題」
鵜飼秀徳「日本人の供養心」
内澤旬子「屠ること、食べること」
宮崎 学「死が生を支えている」
永田憲史「死刑制度を考える」
第2章 死の科学
小林武彦「生物の死と老い」
石 弘之「アフリカの感染症と死」
岩瀬博太郎「法医解剖の現実」
今泉忠明「動物たちの死」
第3章 死の文化的考察
小池寿子「『死の舞踏』を見る」
中村圭志「『死後の世界』の古今東西」
井出 明「悲しみの記憶を巡る旅」
山本聡美「九相図を見る」
坂上和弘「ミイラは語る」
安村敏信「幽霊画を見る」
安田 登「『能』に見る日本人の生死観」
第4章 死と儀礼と
山田慎也「日本における葬儀の歴史」
長江曜子「世界のお墓文化」
小谷みどり「現代日本のお墓事情」
町田 忍「霊柩車考」
第5章 身近な人を葬る―死の考現学
小笠原文雄「在宅看取りの実際」
古田雄介「デジタル遺品を考える」
木村利惠「国際霊柩送還という仕事」
坂口幸弘「死別後の悲嘆とグリーフケア」
横尾将臣「遺品整理の現場から見る孤独死」
田中幸子「遺族としての自死に向き合う」
武田 至「火葬場の現在」
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