ブルーベリーを初収穫
中国の餃子は水餃子が普通で、日本式の焼餃子は戦後1947年頃から満州から帰国した引揚者が渋谷や神田で売り出したのがルーツらしい。
1948年にアメリカが大量に放出した余剰小麦が餃子の材料となったことも影響しているらしい。
焼き餃子になったのは、屋台やバラックの店で餃子を茹でるために多くの水を使うのが難しいから、水餃子で使われる白菜は水分が多いので作り置きできないので、水分が少ないキャベツに代わったという話もあるようだ。
有名なのは1948年に渋谷の百軒店にあった「友楽」が最初で、「友楽」はその後1952年に恋文横丁で「珉珉」に変わり2008年まで営業したいたらしい。
きたきつねが生まれて始めて餃子を食べたのは70年近く前に小学生低学年の時の同級生の家で、彼の母親が満州引揚者で眼の前で作って、食べさせてくれた。
きたきつねの母も一緒だったので、真似をして作るようになった。ただ、皮の作るのが難しいので、小麦粉を水で捏ねて、伸ばして、丸い管の蓋で切り抜いていたのを覚えている。
どんな味だったかは全く記憶にない。
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