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2025/10/28

「お祭りマンボ」と死語の世界

最近、自宅で美空ひばりの「お祭りマンボ」が頻繁に聞こえている。何度も何度も繰り返されるので、聞こえていなときでも頭のなかでリフレインされている。

お祭りマンボ」は昭和27年(1952)に発売されて、昭和32年(1957)に再発売になった美空ひばりの歌で、子供の頃に聞いたことがあるので、うろ覚えで適当に歌うことができるのに、歌詞をちゃんと知らなかった。

調べてみると、マンボの軽快なリズムでなんとなく明るい歌かと思ったけれど、お祭り好きのおじさんとおばさんが祭りに熱中しているうちにひどいことになるという内容で、最後に「いくら泣いてもあとの祭りよ」で落ちがつく歌だった。

2番の歌詞の中に「どこかで半鐘がなっている 火事は近いぞスリバンだ」とあって、半鐘やスリバンなどは落語好きでもなければ知らない言葉で、Z世代には意味が分からないだろうなと思いながら聞いている。

今は119番の通報システムがあって消防車が出動するけれど、大昔は半鐘で火事を知らせて消防団が駆けつけるということだった。

スリバンというのは擦半鐘(すりはんしょう)といって、火事が近い場所では半鐘を激しく連打することで緊急事態を知らせていた。

いまでも地方に行くと稀に「火の見やぐら」や「鐘楼」が残っていることがあって、半鐘を釣る金具があったりするのを見ることはあっても、使われてはいないだろう。

もちろんきたきつねは半鐘の音を聞いた記憶はない。

火事が消えたときには半鐘を2回「ジャン ジャン」と鳴らしたということだけれど、今でも消防車が鎮火して戻る時に警鐘を2回鳴らしながら帰っていったのを覚えている。今は消防車に鐘はなく電子音で再現しているということだ。

期待してたのに、思うようにいかずに失敗するときに「おじゃんになる」ということばがあるが、半鐘の音にかけて「火事で何もかもダメになってしまった」ということに関連してるようだ。

「スリバン」や「半鐘」などということばはもう「死語」で、今では古典落語の世界、それも「火事息子」、「鼠穴」非常に限られた演目で、枕で半鐘のことを説明しなければ分からない話になっている。

そういえば、SNSで「無言の帰宅」とか「草葉の陰」、「はすむかい」、「しあさって」などという言葉が通じなくなっているということが話題になっていたけれど、言葉は時代によって変化しているので、世代間で通じなくなったり、一般には全く使われなくなった「死語」は増えているのだろう。

20251028_3 「死語」といえば、「三省堂国語辞典から 消えたことば辞典」という本があった。歴代の三省堂国語辞典から削除されたことばを選んで辞書風にならべ解説した本で、その中にも「死語」が含まれていた。

小型辞書は、ページ数や文字の大きさに制限があるので、改定のたびに新しい言葉が生まれ掲載されると、使われなくなった言葉は削除される

特に「三省堂国語辞書」は現代語を対象としているので、今の世界に広まり定着したと判断されるたことばや語義が採録されているので、削除は多いようだ。

この本を読んでみると、辞書は引くばかりではなく、読み物として楽しむこともできると今頃知った。

三省堂の「三省堂国語辞書」や「新明解国語辞典」は使ったことがないけれど、テレビ東京の「川島明の辞書で呑む」ではこの2冊を使っていた。この番組は特番なので、年末にあるような気がする。

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